林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

捨てるということ。(*^_^*)

いつもありがとうございます。林雄介です。(*^_^*)

老子の中に、捨てて、捨てて無為になる。無為にしてなさざるものなしという文章があります。

私は、今、まあ、過去もたくさん勉強していますし、皆さんにも勉強しましょうとお願いしています。

そうすると老荘思想と矛盾が出てくると、読書会で老子を読んだ方は感じるはずです。

老荘は、捨てろという教えです。仏教も捨てろという教えです。しかしね、捨てるものあります?

老子で、どんどん捨てていけば、無為の境地になるから、なんでもできると説明をしています。しかし、どんどん捨てるには、「捨てるものを持っていない」と捨てれないんですよ。

これは茶道の守破離。禅の十牛図と同じなんです。最初は、守。決められた方を覚える。禅は牛の足跡、禅語録や仏典、座禅をして、牛の足跡を追いかける。そうして、知識と経験が一定量を越えたら、牛を乗りこなせるようになる。茶道や華道も型を暗記している。

次は破、定型パターンを破るんです。基礎ができたら、定型パターンを破る。これは応用であり、発展。

最後は離。茶道や華道から離れる。禅から離れる。牛も逃がす。老子の捨てるというのは、基礎を学び、応用、発展させてから、全部、捨てる修行をする。最初に、捨てる修行をするといっても、捨てる知識も経験も社会的地位もないのに、何を捨てるんですか?。

捨てるものが大きいから、得るものがあるんだけど、ほとんど捨てるものがない人が捨てることすらできないわけです。

ですから、最後は、私も捨てますよ。捨てますけど、捨てる前に、捨てるものを勉強しなかったら、何を捨てるんですか?

これが老子についての矛盾がない回答であり、解釈です。

林雄介with,you。