林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

夏休みの自由研究。

いつもありがとうございます。林雄介です。(*^_^*)

同じ記事を書いた記憶がありますが、中1が真田幸村、中2が本能寺の変、中3が戊辰戦争から函館戦争まで。

真田幸村で、上田城から大阪城までいってきたんですが、「戦闘、バトル、戦術」で勝っても「戦争、ウォー、戦略」で勝たないと勝つの無理だなと。

源義経も戦闘は得意で、源頼朝は戦闘に参加すらしていないんですよ…。戦争に強い人間は、戦闘は弱いから、戦わないし…。武田信玄上杉謙信も積極的に戦闘してませんからね。

武田は、「6割勝ち」。相手も頑張ったけど、負けたかな?ぐらいの勝ち方しかするなと信玄が言っているし、上杉は宗教活動の一貫としての戦しかしませんから、神社に戦の正統性についての書き置きがあるくらいですから。

戦争を極めたら、大将が討ち取られても問題ないようにしておくんですよね。徳川家康大阪城を攻めた時は、将軍職を秀忠に譲っています。織田信長も、42歳かな?早々と家督を長男に移譲して、万が一、自分が死んでも織田家は存続するようにしておいたんですが、長男ごと本能寺で討ち取られましたけどね。

歴史上、戦略的敗退を戦術でひっくり返した人いないんですよ…。桶狭間の戦いは、今川義元を撃ち取っても、跡継ぎの今川氏真織田信長を攻めてきたら、結局、織田信長やられてましたよ。

今川義元家督相続という戦略に失敗していたから、信長が勝ちましたけど…。ですから、バトルに強い人にあとを継がせないんですよ。

大阪も、徳川家康が幕府を開き、安定政権を樹立して10年以上経過してますから、戦で徳川家康に勝っても、豊臣方が江戸幕府以上の安定政権を樹立しないと勝ち目ないんですよね…。豊臣秀吉の代で、安定政権樹立できてませんし…。

安定政権というのは、誰が将軍になっても機能する仕組み。明治維新の時は、将軍家潰すために、天皇を持ち出してきましたから、逆に言うなら、天皇以外は徳川幕府を潰せなかったんですよ。

ちなみに、鎌倉幕府後醍醐天皇が潰しに来ましたから、徳川幕府は上野寛永寺に代々、親王を招き、朝敵にされた場合、上野寛永寺親王を旗印に朝廷と戦う準備もしてあったんだけど、15代慶喜が上野寛永寺親王作戦を放棄したわけです。

幕府が徹底交戦した場合、内戦やってる最中に欧米に植民地化されるから、内戦やらなかっただけで、欧米の侵略というファクター抜きにしたら、戊辰戦争、幕府が勝った可能性高いですよ。

林雄介with,you。