林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

プレゼントのわりと深いためになるお話。(*^_^*)

いつもありがとうございます。林雄介です。(*^_^*)

私はプレゼントは貰わないように気をつけています。ですから、皆さんもめったに、プレゼントを私に贈ってくることはありません。

ふと考えてみると、母方の祖母の家には、ご近所のパン屋さんから、あるいは割烹、料亭、政治家や商売人、あらゆる人から相談が持ち込まれ、地元で選挙に出馬する時に、自民党が挨拶に来るのは当たり前、共産党ですら出馬挨拶に来ましたからね。県の自民党役員だったけど。

市長選挙でも、立候補者が全員挨拶に来たわけです。それが、数十年続いたのです。

ただ、私の家族は学者や教師ですが、父も元々は公務員です。しかし、障害者の面倒をみるために、施設運営をするために、公務員をやめたのです。

ぶっちゃけた話をすると、父は蘇我馬子の生まれ変わりではありませんが、蘇我馬子クラスが生まれ変わると、私の父のように地味な慈善家になることが多いのです。ちなみに、私も蘇我馬子の生まれ変わりではありません。

それはさておき、公務員ですから、付け届けをもらうと不味いのです。しかし、昔の公務員は付け届けが多く、母も教員ですが、まあ母は小中高校の全部の教員免許持ってますけどね。

私の担任には、お中元、お歳暮を送っていました。これは、母の学校では、基本的に付け届けが横行しており、貰わない教師の方が少なく、母は送り返していましたが、「自分は付け届けを拒否しても、私の担任に付け届けしていたということは、付け届けで生徒への態度を変える教師の方が母が接してきた教師にたくさんいた」ということです。

私は、金持ちでも、貧乏人でも、貧者の灯火として、平等に皆さんを扱います。金持ちが気軽に出せる1千万より、貧乏な人が出す食事代の1千円の方が尊いのです。これは神仏も私と同じように対応されます。

また、プレゼント合戦、付け届け合戦になると気の毒なので、原則、すべて皆さんからは貰わないのです。

しかし、プレゼントをもらいなれている人は、もらうと他人に配ります。家で消費しきれないので、わけるのです。

そうすると、私にプレゼントしてくれても、結局、まわりのひとに渡るのです。ところが、私の知り合いに、絶対に自分が貰ったものは秘書にも職員にもあげない首長がいます。ドケチと事務員がいっていますが、逆なんですよ。

普通は、従業員にわけないと消費するのが大変なんです。大企業の重役から首長になったから、付け届けはもらいなれているわけ。じゃあ、なんで部下にわけないか?と言ったら、持ってきた人が従業員の皆さんでといえばわけるんです。自分個人に来たものは、無理にでも消費するんです。

私に皆さんがプレゼントして、私がまわりにわけちゃったら、皆さんも寂しいでしょう?。

しかし、消費しきれない量、大量のネクタイ、服のたぐい、食べ物は実家に来ますから私は食べないんですが、そうすると、社交儀礼的なものはともかく、あとは、私が消費できないなら貰うべきじゃないと思うのです。

しかし、首長のように、絶対に自分で消費する人もいて、それは、優しさなんだなと最近思ったわけ。もらってあげる優しさというのがあるんだなと。

とはいえ、まだ、私はそういう境地にないですから、もっと年をとって60歳、70歳、80歳になれば、プレゼントをもらってあげる優しさも出てくると思いますが、現実的に、消費可能な量を越えます。また、ライフワークで生活困窮者をみてきましたから、生活困窮者が、付け届けをしたくても、無理でしょう?。

もちろん、野に咲く花、拾ってきた漫画でも私は受けとりますが、それは私がホームレスや低所得者住宅、貧困研究をやってきたから、受けとるだけで、普通は戸惑いますよ。

結論としては、世界政府を作って、世界から貧困が完全に撲滅されて、人類すべてが裕福になったら、私も、貧しい人を心配せずにプレゼントを貰えますから、そうなるといいなあと思います。

林雄介with,you。