林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

思うこと。12月5日。o(^-^)o

いつもありがとうございます。林雄介です。(*^_^*)

読者の方から、以前、歓喜天について聞かれたので、数回、歓喜天に行ってお経も買ってきて読みましたが、あらゆる願いを歓喜天は叶えると書いてあるのですが、歓喜天への祈願は心身清浄たれとある。

で、祈祷次第に般若経が入っています。般若心経というのは、要するに、「この世は空だから、五感で感じるものは存在しないんだよ。執着したらダメですよ」というお経です。

要するに、結論から書きますとね、「仏の方便」が歓喜天である。

欲を持つなという信仰が歓喜天なんですよ。しかし、歓喜天はあらゆる欲を叶える。これは、教化のための方便である。

じゃあ、本当の歓喜天の働きを知りたいと思うんですね。

「善徳を積んだ量を計測する」のが、歓喜天の本来の仕事です。閻魔大王とあまり変わらない仕事ですから、同じ系統の神様でしょう。

もうひとつは、恋愛成就の神ではなく、夫婦和合の神様なんです。相手がいない人間に、相手を見つけてくる神様ではないんです。相手がいる人の、夫婦和合。そこから付随して、知恵と財徳の神になるのですが、天部の神様は、「専門分野」は強いんですが、それ以外、苦手ですからね。

歓喜天が怖いという話は、ある面、正しいです。祈る人が、ストレートに欲望をぶつけると神域が汚れるんですよ。で、人々の念がたまると、神様が降りれなくなるわけ。

書いていて、歓喜天というのは、理趣経に近いなあと思いました。

ちなみに、僧侶の法力に限れば、真心ある日蓮宗系が一番強く、次が真言宗。ただし、日蓮宗系はモロ欲望というのは、あまり肯定していませんから、「病気治し」や貧乏な人を大黒天修法で救うみたいな。

法力というのは、僧侶の学力×熱意×純粋さ。純粋さが欠けると、学力があって、情熱があっても、邪神来ますよ。

僧侶の判断基準は、真心や純粋さが一番、次が熱意、三番目が学力。

真心があって、熱心に祈れば、多少、やり方が間違っていても神様というのは動くんです。

頭が良くて、熱意があって、欲望ドロドロの僧侶がいたらば、強烈な邪神呼びますからね。能力が下手に高い方が、邪神呼ぶから怖いですよ。

だから、仏教は無欲を強調するわけ。仏教に限らず、すべての宗教が無欲を強調するわけですよ。

地位やお金、宗教家というのは、地位やお金に執着したら、一気に霊力が魔力にかわるんですよ。

ですから、神社でもお寺でも維持費がかかる。維持費と僧侶や神主の生活費を捻出しつつ、欲望は捨てなきゃならん。非常に難しい職業です。

結論から書きますとね、純粋に、人様の幸せを祈り続けるしかないです。常識的な経営の知識も必要なんだけど、それよりも、ピュアであること。これが一番の修行でしょうね。

祈る側に真心がなくなったら、神様も仏様も降臨できないですからね。

林雄介with,you。