林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

メモだけ書きましたが…。o(^-^)o

いつもありがとうございます。林雄介です。(*^_^*)。「宗教で得する人 損する人」(林雄介、マガジンランド」出版しました。

最近、体調が優れないので、多少、blogの記事の書きためをしないと毎日更新ができないなあと思いまして、10個ぐらい箇条書きで、記事の要点だけ書き出したのですが、なかなか本文に書き進めないので、とりあえずだらだら、何か書きます。

blogは、本ではありませんから、簡潔明瞭に書きません。校訂もしません。

要点だけなら、私が死んでから、簡潔明瞭に「よくわかる林雄介」という本を誰かが書けばよいのです。

しかし、よくわかる聖書や、よくわかる論語、よくわかる法華経、よくわかる観音経を読んで、「利用できるか?」なんです。

観音経も、要するに観音の働きが書いてあるだけです。しかし、要点だけ簡潔明瞭にまとめたお経をみて、感情移入できますかね?。

神や仏というのは、人間の情感が高まった時に降臨します。ですから、神社でもお神楽をやったり、お寺でも儀式をやるのです。また、イスラム教のコーランも、アラビア語の詩、ポエムになっているのです。

法華経も、要点だけならA4一枚にまとめられます。「釈迦は方便でいろいろな教えを説いたが、真実の教えは法華経である。過去、現在、未来に釈迦は永遠に仏として存在する。法華経はありがたい」要点だけ簡潔まとめると法華経もこれだけです。

情感が高まらないでしょう?。聖書も神やキリストの偉大さを実感するストーリーにしてあります。本来、古事記ギリシャ神話、エジプト神話、あらゆる神話が、ストーリーに人間が没頭する中で、神々が降臨するように書かれていたものです。

密教では、ゴマ木に火をつけて燃やし祈祷しますが、これはゾロアスター教に由来します。ですから、火さえ焚ければ、割り箸を鍋に入れて焚いても、仏様は呼べるのです。とはいえ、緊張感もなく、ありがたみもないので、情感が高まらず、失敗するはずです。

曼荼羅や宗教画、仏像もイメージ力を高め、情感を高めるために必要なのです。極まれば、脳の中のイメトレで、仏界を描き、情感を高められるようになるのです。

これが、霊力はイメージ力であると、私が常々、皆さんに説明している理由です。

ところで、年末も近づき喪中葉書が増えました。慎んでご冥福をお祈り申し上げます。

どうやって、死にたてほやほやの肉親を供養するか、「結論から書けば、法華経なら法華経、浄土宗なら阿弥陀経の現代語訳を、平たくかみ砕いて、説明するのです。ポイントは、1、死んだらあの世があり、あの世とは、要するに霊界であり、霊界とは、この世と同じ景色、制度ですよという、死んだらこの世にとどまることなく霊界に行けという説明です。2点目は、死んだら墓に入るのではなく、霊界に行けという説明です。3点目は、肉体がなくなれば、癌で死のうが事故死しようが痛みは消えているという説明です。」

しかし、3点目の痛みについて説明しても、死んだ時の意識が残っているので、なかなか、納得してくれません。

ゆえに、川崎大師や浅草寺清荒神等で供養します。1千円〜3千円から供養してくれるので、供養します。万が一、法力が出ていなかった時のために、「念入りに供養しましたよ。供養した時に、仏様が、怪我や病気を治しましたから、治ったんですよ。痛いというのは、気のせいですよ」と霊に暗示をかけます。本来、死んだ時点で、すべての痛みは消え、怪我や病気は回復していますが、霊界は意識の世界なので、霊が痛いと考えると痛みが消えないのです。

本当に、法力が働けば、宗門に関係なく、葬式や供養の読経に仏が降臨し、病気を治します。しかし、ガチで法力がでる僧侶というのは、少ないのです。

いつも書いているように、真心があり、純粋に霊が救われるように祈れば、僧侶だろうが、僧侶でなかろうが、法力は出ます。ですから、私の読者は法力出ているとは思いますよ。

私なら、リスクヘッジで数ヶ所で、供養します。確率的に、まず仏がいるであろう数ヶ所で供養すれば、どれかは当たります。

しかし、霊界の行き方がわからない先祖も多いのです。死んだら、担当地区の産土神か守護神か守護霊が、霊界につれていきます。しかし、信じていないと迎えに来ても、霊には見えないのです。

極端な話、子孫が熱心に観音経をあげて祈り、ガチの観音様がお迎えに来ても、信じない霊も多いのです。(子供は純粋で信じやすいから、わりとすぐに成仏します。)

最後の手段は、「死者の直系の先祖霊の中で、仏以上の位があり、死者を説得して、あの世に連れていける尊い、徳高き、素晴らしい、一族の誉れである高級先祖霊様」(枕詞をそのまま入れて、本気で信じて、情感をこめて祈れば来てくれます。)に、「あの世に連れていってもらいます。」しかし、基本は、お寺で供養し、複数のお寺でも供養し、直接、霊の説得をして、それでもダメなら先祖霊を動員します。

さらに、霊の抱いている「どうして早死にしたか?どうしてあんな死に方をしたなか?神も仏もないものか?」という感情を持っている霊もいますが、「あの世で、直接、神様や仏様、守護神、守護霊様に聞いてくださいね」と伝えます。

そもそも神も仏もいるという絶対的な確信がなければ、この世でも、あの世でも呼べません。呪文を唱えれば呼べるわけではないのです。疑う気持ちがあれば、呼べません。盲信しないと呼べません。

生きている時に盲信すると怪しい開運グッズを買わされたり、霊感商法のカモになるので、生きている時と死んでからで、考え方の切り替えをする必要があるのです。

とりあえず終わります。

林雄介with,you。