林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

寿命について。(*^_^*)素手でトイレ掃除というカルト。

いつもありがとうございます。林雄介です。(*^_^*)

マガジンランドから、「宗教で得する人、損する人」(林雄介)発売中。「政治と宗教のしくみがよくわかる本」の電子書籍版も発売中。

ちなみに、「新版、絶対わかる法令条例実務入門」、「新版、絶対スキルアップする公務員の勉強法」(林雄介、ぎょうせい)から発売中。で、私は知らないんですが、「電子書籍版」が出ているみたいですね。私の本はどれくらい電子書籍化されているのか?著者としては興味があります。

著者が発売日を教えて貰えないとか、本のタイトルを教えて貰えないとか、電子書籍化されている本が何種類あるのか教えて貰えないとか、いろいろ思うところはありますが、皆さんが買って確かめて、SNS等で教えてくださるので、本当に読者の皆さんに生かされていることを再確認する1年でした。

blogは、下書きメモがたまりすぎ、どれを文書化していいのかわからなくなったので、全く別の記事を書くことにします。

1、行を行にしない。

イエローハット創業者の方が素手でトイレ掃除をするというよくわからないことをしています。

トイレ掃除は、無償奉仕をする一灯園という関西の新興宗教がやっています。イエローハット創業者は一灯園と禅のトイレ掃除の話を雑誌のインタビューでしているので、一灯園の劣化バージョンと考えてよいと思います。一灯園というのは、教祖が、貧乏で行き倒れになった時に、何も考えずにその辺の掃除をしたら、近所の人が、掃除をしてくれてありがとうとご飯をくれた。なので、無償奉仕をすれば、天が生かしてくださるという教えです。原始共産主義に近く、私有財産を否定し、無償奉仕し、誰かが衣食住をくれれば貰うという宗教です。

もちろん、一灯園でも素手でトイレ掃除をすることはありません。

禅は、当たり前のことを当たり前にやる。行のための行をやったら禅ではなくなるわけです。

無になるために、掃除をするという目的、掃除をするという行、掃除をするということすら意識しなくなることに意義があるのです。掃除にとらわれれば、執着であり、禅の修行にはなりません。

禅は、とらわれないことに意義があり、別に掃除をしなくても、無の境地でゲームをやり、ゲームをやるということすらとらわれない境地になれば、一応、禅的な悟りが得られたことになります。

逆に、行にとらわれれば、禅の悟りからは離れてしまうのです。

つまり、イエローハットの素手でトイレ掃除は、一灯園や禅の天に生かされていることを前提にした無償奉仕や、禅のとらわれない悟りからは離れた、行のための行であり、「極めて精神性が低い迷惑な活動」といえます。

トイレには、何柱の金運の神もおられますが、神は「社会性と常識を尊重される」ので、素手でトイレ掃除というカルトじみた行為はかなり困惑されておられるので、皆さんはそうしたカルトじみたことは、相手にしないでいただきたいと思います。

2、寿命。

松居一代さんは、100歳まで生きるために財産が必要であるという記事を読みました。健康になる怪しい水等を飲んでおられるようです。

寿命というのは、「この時代の平均的医療を受け、平均的な生活をした場合」に例えば、80歳まで生きられると決まっているものです。

ですから、病気を放置したり、過度な過労が続けば、本来の寿命が80歳でも50歳ぐらいで死ぬことはありえます。

つまり、寿命はその時代の平均的医療と平均的な生活をした場合の耐久年数といえます。

次、健康法で寿命が延びることはありません。健康になる水、健康になる体操をやっても、寿命が80歳なら80歳で死にます。健康法や医療は、本来ある寿命まで生きるために必要なのです。

いつも書いているように、寿命は徳分を積むことでしか延ばせません。また、過度な長寿願望は異常です。過度な長寿願望がある人が死ぬと、現世に未練が残りすぎるので、極端な長寿願望があると逆に執着させないために早死にすることがあります。

逆に、早死家系で、長生きをあきらめて、明るく楽しく、それなりに世の中のために生きている人はわりと長生きするものです。早死家系は、基本的には業がありますが、家系として早死が出るほど顕著に人が死ぬ場合、業が晴れていることも多いのです。

ちなみに、業がはれていないガチの早死に家系だと、私の本とご縁ができません。ですから、私の本とご縁ができて、私の記事を読めているということは、「早死家系」の業はほとんど解消されています。

林雄介with,you。