林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

神社の作法。密教のマントラ。o(^-^)o

いつもありがとうございます。林雄介です。(*^_^*)。昨夜、藤井聡太4段が名人戦C組2級戦で1級に昇級、史上初の現役中学生5段になりました。今日は、東京は朝方から激しい雪が降っています。通勤、通学などに気をつけてくださいね。

さて本題にはいります。神様や仏様というのは呪文で呼べるわけではありません。例えば、真言というのはサンスクリット語ですが、同じ真言でも宗派によって日本語のルビがことなり、微妙に違う唱え方をしているのです。また、密教真言サンスクリット語ですが、お釈迦様はマガダ語で話していたので、お釈迦様と密教真言サンスクリット語は無関係なのです。これはお釈迦様が方言であるマガダ語を使っていたのが、お釈迦様の死後、仏教が広まりインドの標準語のサンスクリット語に翻訳され教えが広まったため起こった現象といえます。同じことは、キリスト教でも起こりました。イエスは方言であるアラム語を使っていましたが、パウロギリシア語で教えを広めたため聖書はローマでラテン語聖典にされたのです。また、毘沙門天や大黒天、弁財天等はインドの神が仏教に取り入れられ、中国で漢訳経典が作られ、日本に入ってきたのです。ですから、呪文や真言がそもそも、仏の使用言語ではないので、要するにテレパシーで通じるのです。もちろん、真言や経典にはそれなりに意味もあり、たくさんの人が唱えているので、聞く側の仏も意味はわかります。

しかし、南無不動明王であるとか、南無天照大御神のように、あまり聞きなれない言葉を作っても、要するに天照大御神に帰依しているんだなと神様の方で察してくれます。また、呪文そのものが、多少違っていても、言いたいことは伝わります。

とはいえ、神様も忙しいので、あまりにも荒唐無稽なものは、神様もわからないというか、スルーすることはあります。

ところで神社には参拝の作法がありますが、神社本庁が決めたルールです。神社では二礼二拍手一拝しますが、もともと神社で何回、手を叩くか?というルールは神社ごとに異なっていたのを、明治以降に統一しただけです。しかも、神社官僚が決めたので、神様に確認を取ったわけではありません。伊勢神宮というのは、倭姫が神鏡を背負い天照大御神に確認しながら日本中を旅し、最終的に伊勢に神宮を作ったのです。本来、お祭りの作法等も神様からのメッセージをジャーマンが受け取り決めていたのです。ちなみに神社でも何回拍手しても神様は気にしませんが、周りの人が変な人だと思って、念を飛ばしてきますから、やはりあまり、変なことをやらない方がいいと思うのです。

ところで伊勢神宮神社本庁では、フォーマルスーツを正式に参拝する時の服装とし、神道系大学でも、そう教えているようです。しかし、もともと、明治政府ができた時に、武士と公家が正装をどうするか?で喧嘩し、弥生時代の格好に戻せという極論になり、スーツと弥生時代の服装は似ているので、洋装を政府の正装とし、日本風の礼服を作ったのです。それが戦争に負け廃止されたので、スーツが神社参拝の正装になったのです。

しかし、正装というのは、飛鳥時代平安時代大和朝廷時代、時代、時代によって異なるのです。また、フランスのように貴族が半ズボンをはいていたので、市民が長ズボンを着用し、今のスラックスになったのです。

このように、正装であるとか、作法といっても、わりといい加減なものも多いのです。

逆に、諏訪大社の奇祭の類いは、神様のメッセージがあり、やり方を決めたので、民族学的に考察しても、わからないこともあるのです。というより、ほとんどのお寺は、行基空海役小角がお告げを受け作ったのです。(大半は弟子や高野聖が作った)。

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