林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

プロセスに意味がある。法華経信仰の間違いとは。(*^_^*)

いつもありがとうございます。林雄介です。(*^_^*)。厳密には間違いではないんですが、法華経しか読まないとやはり法華経そのものを正しく理解できないというお話です。

法華経というのを、日蓮さんが言うように仮に法華経が最高の教えだ仮定します。それでまあ便宜的に法華経は大学生の教えとしますよ。

じゃあ、小学生や中学生に、いきなり大学の教科書みせたら、理解できるか?といったら無理でしょう?。

ですから、仮に法華経が最高の教えだと仮定しても、法華経にいたる釈迦の教えを理解していないと、法華経が理解できないという矛盾が生じるわけです。

日蓮さんというのは、いつも説明しているように仏教の全部のお経を読んで法華経が最高の教えだと考えたわけです。日蓮さんは仏典全ての比較研究をしたわけです。

ところで、臨済宗中興の祖である白隠さんは、若い頃の法華経は例えばかりだから、わけがわからんと読むのをやめたんですね。それが40代になって、禅で悟った白隠さんが法華経を読みましたらね、「お釈迦様は慈悲が深いから、あらゆるケースを想定して大量の例え話を出した法華経を説いた」と悟って感涙したわけです。これが、法華経というのものを深く理解するプロセスだと思うんですね。

プロセスを省いて法華経を読んでも、小学生や幼稚園の児童に大学の授業をやるようなものだから、理解できないんですよ。

法華経万能主義というのは法華経が説かれたプロセスを省いていますから、結局、法華経がどうすごいのかわからないんです。そうすると法華経が最高の経典だという結論だけ教えられても、法華経を使いこなせないのです。

日蓮さんは、一切経典を読破しているから、法華経を使いこなせるのです。

法華経というのは、聖徳太子さんも最澄さんも最高の教えだと仮定しましたが、法華経単一主義にはならなかったのです。なぜなら、法華経だけを読んでも、法華経がどのように他の経典と比較して素晴らしく、ありがたいか?という意味がわからないからです。最澄さん達も結局は、他の仏典研究をする必要がありますから、法華経を中心にはおいても法華経万能主義にならなかったのです。

日蓮さんは、ものすごい徳分とものすごい業の両方、持っているのです。理由は他宗排斥をやり過ぎたからです。もちろん、元ネタの法華経を書かせたお釈迦様というのも、ものすごいマイナスの業があるんですよ。もう再誕しない神様だけれど人間を迷わした業があるんです。こういう業はキリストもマホメットも徳分と業、両方持っているんです。ほとんどの聖人というのは、教えで人間を救った徳分と教えで人間を迷わせたマイナスの業の両方を持っているんです。神様でも同じように、救った人と人間の不幸の原因を作った間違いがあるわけです。

絶対神以外は間違いますからね。宇宙を作った絶対神は間違えませんが、働きがないわけです。(人間相手に出てくる神様、間違えることも多いのです。)

絶対神というのは、平たく説明すると全知全能の全知を担当しているのです。しかし、全能の働きは人間相手に出てくる神様に委託してあるのです。

人間相手に出てくる神様というのは、全知全能の全能の働きを担当しているのですが、絶対神が持つ全知の働きがないので、判断ミスがあるのです。また、全知全能の神になると、画一化され宇宙の多様性がなくなるので、間違いこみで宇宙を絶対神が創造されたのです。

神様というのは時代と場所、TPOのベターしか出せないのです。モーゼというのは、ユダヤのあの時代のベターです。マホメットさんも、中東のあの時代のベターです。日蓮さんも、鎌倉時代の日本のベターなのです。ですから、全時代、全人類対応のベターなんかないですし、これからも出てこないのです。

お釈迦様は諸法無我の真理を説きました。これはね、すべての法(真理)なんかないという真理です。諸行無常は、すべての法(真理)なんかなくて、法(真理)も変わるよという教え(真理)を説いたのです。実際に、真理は変わっていくんですよ。

林雄介with,you。