林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

言魂、音魂、文字魂とは何なのか?。人を幸せにしてなんぼの世界です。(*^_^*)

いつもありがとうございます。林雄介です。(*^_^*)。凄い雨でしたね。

言魂についてですが、言魂を大切にし、古事記だか日本書紀忘れましたがを大和言葉で読むべきだという方がいるんですね。まあ気持ちは理解できますが、言魂というのは、音魂(同音異義語で別のメッセージを込めてあることがある)、文字魂(要するに意味のこと)の両方からできているので、訓読でも音読でも、神様に意味は通じるんですよ。同音異義語のメッセージだけは、音を調べないと(人間には)わかりませんが…。まあ、人間が知るべき時期が来たら、音や同音異義語の研究をしてみようという人が(天の計らいで)自然に現れますしね…。

お経も、日本語、中国語、サンスクリット語で読み方が違います。そもそも、釈迦はインド標準語のサンスクリット語ではなく方言のマガダ語を使っていたのを弟子がお経にした時に標準語のサンスクリット語にしたのでリアルな釈迦の言葉は残っていないのです。この辺は、エルサレムの方言のアラム語で説かれたキリストの教えがギリシア語ラテン語で聖書に残されたことと似ているように感じます。また、同じお経でも宗門宗派によって読み方が違うのです。この辺りは、茶道で千利休の長男だか次男が表千家を継ぎ、三男だか四男が表千家の手順を真逆にした、例えば右に茶碗を回すなら、左に茶碗を回し、新しい裏千家を作って生活していったのと似ているように感じます。なので、お経でも祈りでも、心の想いはテレパシーで神や仏に通じるのです。

極端な話、呪文が間違っていても、本人が神様や仏様を呼ぶ呪文だと信じてあげていれば、テレパシーで通じるんですよ。多少、違っていも、一応、神様なのでわかりますよ…。

じゃあ、言魂はなんなのか?ですが、1つは同音異義語でメッセージ伝達をするので大事といえば大事なんです。しかし、音よりも中身、ハートの方が大事なんです。つまり、「念(気持ち)を前向きにしなさいよ」ということです。

例えば、死ねという念をこめて、幸せにといったら、相手が不幸になる。言葉そのものより、言葉に込められた念の方が大切なのです。もちろん、幸せにという文字に意味がありますから、幸せにという気持ちがあるなら、死ぬではなく、幸せにと素直にいえばよいのです。

幸せにという念をこめて、死ねといったら、相手が幸せになりますから、こめる念の方が大事なのです。

これは学問の難しいところですが、言魂学もやり過ぎると、手段が目的化するのです。言魂は言魂で意味があり、昔、数の祝詞はひふみよか、ひとふたみよか?どちらを使うか?という話を、書いたことがありますが、ひふみとひとふたでは当てはまる漢字の意味がちがってくるので、霊力が強いという意味では、ひとふたみよの読み方です。言魂学に意味はありますが、最後は、どっちが霊力出てるか?みたいな話になるので、学問的に正しくても、神様的には、だから何?みたいな話も多いのです。

学問というのは、「学問のための学問ではない。のです。人間が幸せになればよいのです」。ゆえに地獄に落ちている学者も多いのです。

いつも書いているように、天国に行ける職業と地獄に行く職業は、ほぼ同じ職業なのです。つまり、社会的影響力をみられるのです。

より多く人を幸せにできるか、あるいはより多くの人を不幸にしたのか?をチェックされるのです。

話は言魂から変わりますが、人を幸せにするということを考えた時に、自称・第六魔王の織田信長さんが殺した人間より、織田信長さんが戦国時代を終わらせたことで救った人間の方が多いのです。戦国時代があと100年、200年続けば、社会が安定しませんから、生活水準も低く、医療や争いで死んだわけですよ。ところで、徳川幕府の「百姓は生かさぬよう、殺さぬように」という意味はマルクス史観では、為政者の民衆に対する搾取と教えてきました。結論からいうと間違いです。「年貢をとりすぎて、百姓を飢えさせて殺すな。百姓が死んだら、年貢がないから、幕府も大名も運営費なくなるからな」という意味です。中心は、百姓が暮らせなくなる水準の年貢の禁止令なんですよ。生かさぬようには、遊行で田んぼを売られたり、没落しないように勤労を推奨しているのです。織田信長豊臣秀吉は商業経済の発展を推奨しましたから、安土桃山文化は絢爛豪華ですが、徳川家康質実剛健がモットーなので、農業を中心に質素に生きる日本を作ろうとしたのです。根底には、下手にお金があると倒幕してくる。倒幕されるとまた戦国時代がはじまる。ゆえに、商業経済を否定

して、質実剛健に生きれば、社会は安定すると考えたのです。ですから、士農工商で、商人を一番下にしてあるのは、商業経済を否定しているのです。安土桃山時代、あるいは応仁の乱の元凶は日野富子応仁の乱の敵と味方両方に金貸しをやって、応仁の乱の決着がつかず戦国時代になった、要するに、商業経済は社会が不安定になると考えたのです。

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