林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

読むべき本と日蓮さんと法華経について。(*^_^*)運命改善の超秘伝。

いつもありがとうございます。林雄介です。(*^_^*)

推奨本の解説の前に、日蓮さんについて書きます。

まず、日蓮という人は、「日本一の知恵者ならしめたまえ」という願をたてて、実際に数千冊のお経を読み、比較検討した結果、法華経が真実の教えであるから、法華経を信じなさいと提唱した人物です。

なので、南無妙法蓮華経を唱えても、法華経の法界が動かないのです。法華経の法界を動かすには、日蓮さんを越える必要があるのです。

これが、聖徳太子最澄、中国天台宗法華経一本に絞った信仰を推奨しなかった理由です。

中国天台宗日蓮さんが主張する一念三千を法華経を読んで、あるいはお題目をあげて、一念三千で法華経法界が動くか?といったら、無理ですよ。日蓮さんが否定した密教の観相法の技術を使わないと法華経法界を強烈にイメージできないんですよ。

日蓮という人物は、確かに法華経法界、法華経に書かれている全ての仏を動かせたのです。しかし、なぜ動かせたか?というと、日本一の知恵者になるためにお経を全て読み、儒教神道、仏教、老荘思想、当時のメジャーな思想の比較研究をしているから、儒教老荘思想神道、仏教の他宗派のエッセンスを全て勉強しているのです。

ゆえに、別に法華経を使うまでもなく、仏教でも神道でも、何をやっても神仏を動かせるんですよ…。

次、新宗教の比較研究をやっていて、ベースになる根っこの自分に思想がないと邪教にとりつかれるんですね。じゃあ、ベースになる思想として、読者の皆さんが万人共通で何を学ぶべきか?と考えた時に、昔やった読書会のテキストがそれに該当するんですが、まず、仏教。仏教で何を学ぶか?というと、法華経は長すぎるのです。

経典の王者ですから、読んだ方がいいのですが、長すぎるのです。推奨本というのは、2時間で読める本、長くても土日休みの人が土日で読了可能な本である必要があります。

法華経岩波文庫で3巻あり、岩波文庫3巻を土日で読了できる人は、読者の5%ぐらいだと思うんですね。

95%の読者は無理だと思うのです。

そうすると法華経は推奨できないわけです。

次にスッタニパータ、や法句経のような中村元先生が翻訳した岩波文庫パーリ語の初期仏教経典なんですが、簡単なポエムにみえて、難解です。なぜか?というと、経典の欠落部分がかなりあるのです。

英国が植民地から集めてきた経典なので、欠落部分があり、全文残っているわけではないのです。パーリ語経典はスリランカや東南アジアに伝わった経典で、インド経由のものではありません。

インドは釈迦の死後、ヒンズー教国となったのです。正確には、商人は仏教、庶民はヒンズー教を信じていたのが、イスラム教の流入で、支配階級はイスラム教、庶民はヒンズー教信仰にかわり、信者が消えたのです。なので、チベット、中国、日本、スリランカや東南アジアにしか仏教は残らなかったのです。

また、中国は儒教、仏教、道教の戦いがあり、破れた側の教えは焼かれたのです。そのため、中国には、空海真言八祖を任じたり、ちなみに朝鮮人にも真言宗の秘伝を中国人は伝授して空海クラスの高僧はわりと朝鮮にいたのです。しかし、朝鮮では中国以上に、弾圧が徹底していたので文化の継承ができなかったのです。

中国人は、他国人に教えを広め、自国で教えが弾圧されても残るようにしました。もうひとつは、文章に秘伝を書いて、隠しまくり、寺が焼かれたり、経典が焼かれても教えだけは残るようにしたのです。

そのため、中国経由の仏教は教えの欠落があまりないのですが、インド、チベットや東南アジア、スリランカには中国のように、あらゆる手段で教えを残す歴史がなかったので、教えの欠落が生じたのです。

もちろん、中国の教えも写本の書き写しミスも多く、異説は大量にあるのです。

そういう背景があり、パーリ語経典は、欠落や書き写しミス等があり、口伝の記憶違いとかも、難解なのです。

もちろん、釈迦の時代と現代の時代背景が異なるため、中国経由でアレンジされた仏教経典より、日本人には、「例え話が意味不明なものも多いのです。」仏教はあとで続きを書きます。

次、儒教の推奨本は大学、論語孟子、中庸です。これは中国でも、江戸時代でも知識階級の人間は小学生レベルで丸暗記させた内容なので、大人である皆さんが読めないはずはありません。

ちなみに、最初は小学(5歳ぐらい)というテキストを朱子は学ばせ、大学に進ませ、中庸以降は五経を学び、10代で五経を学び終わったのです。

しかし、儒教は社会性が身に付く反面、頭が固くなりすぎるので、老子荘子列子、抱朴子の老荘基本書を読む必要があります。列子が一番、個人的には好きで、次が抱朴子です。荘子は長く、老子は何をいっているか、正直わかりません。老子は意味がわからなくていいので、書き下し文と現代文だけ読んで、魂に覚えさせれば、理解する必要はありません。

次が仏教です。老荘思想儒教も、無神論的立場で書かれています。老荘も天の道と合一すればいいんだという書き方です。実際に、著者は天の道と合一した神仙ですが、天の道というのは、特に老子が説く道は宇宙そのものである絶対神との合一です。ですから、老子は、宇宙神界を動かせるのです。

宇宙神界との合一なんか出来ませんからね。宇宙神界との合一は、生前の釈迦も出来ていないのです。生まれ変わりをやめ、天界で修行し、現在の釈迦は宇宙神界と合一しているので、本体は生まれ変わってこないはずです。宇宙神界は、人間が理解できないのです。

次元やスケールがでかければいいというものじゃないですよ。スケールがでかくて、次元が高すぎると、人間に理解不能な教えになるのです。

仏教という次元だから、人間が理解し、仏になれるのです。

さて、仏教ですが、儒教老荘で欠落している神に助けてもらうという部分を補う必要があります。

要するに、神様がいる、助けてくれると、簡単に信じられるご利益集を読めばいいのです。本来、法華経、例えば、法華経の中の観音経の部分はそういう主旨の文章です。

法華経より、簡単に一般人向きに書いてあるのは、臨済宗中興の祖、白隠の「延命十句観音経霊験記」です。観音を信じれば、死人が生き返るレベルの体験記を大量に書いてありますから、それを読んで、観音様は必ず救ってくれる。神は人間を必ず助けてくれると信じればよいのです。

仏教のベースは延命十句観音経霊験記がオススメです。それから、法華経臨済録、六祖壇経、碧巌録等の禅宗の本や開目抄、空海最澄、鎌倉仏教の開祖の本を読めばよいのです。

ちなみに、誰が読んでも来てくれるのは観音様と阿弥陀如来だけです。南無妙法蓮華経は、極まれば日蓮さんが来ますが、法華経の諸天全神は来ないです。極まれば来ますよ。しかし、最初に書いたように、日蓮さんを越えないと無理なんですよ…。地蔵菩薩も呼べば来ますが、死後の霊の救済が得意分野ですし、阿弥陀如来も死後の霊の救済が得意分野です。

毘沙門天不動明王は、呼んでも、必ず来るとは限りません。誰が呼んでも、助けに来てくれるのは、仏教だと観音様だけなんですよ。

日蓮さんも、日蓮さん本人ではなく、日蓮さんのお弟子さんまたはお弟子さんのお弟子さん、さらにそのお弟子さんと範囲を広げれば、誰か来てくれます。空海最澄さんも本人ではなく、弟子の弟子の弟子の弟子の弟子ぐらいまで範囲を広げて、誰か助けてくださいという祈りなら聞いてくれますよ。

本人を呼ぼうとするから誰も来ないんですよ。首相を呼ぶのは無理でも、大臣、大臣が無理なら、国会議員国会議員が無理なら都道府県議員、都道府県議員が無理なら市町村議員、市町村議員が無理なら、その家族か秘書、まで下げていけば連絡できるように、弟子の弟子の弟子の弟子の弟子なら、先祖霊に必ずいますよ。その先祖霊から、先祖霊が解決出来なかったら、先祖霊の師匠に、師匠が解決出来なかったら、その師匠にと上がっていけば、本人が来ます。しかし、一身上の問題なら先祖霊で解決しますよ。

努力していない人間は、絶対神でも、最高神でも守れません。日蓮空海最澄、お釈迦様も、努力していない人間は守れません。で、まともに努力していて、守護霊をやれる力がある先祖霊が動いて、解決できない一身上の問題というのは、ないんですよ。守護霊が解決できなかったら、守護霊に嫌われていなければ、守護霊がもっと力がある守護霊を探したり、仏界、神界で神仏に頭を下げて、命運改善の陳情してくれますよ。

以上です。

林雄介with,you。