林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

劵属について。o(^-^)o

いつもありがとうございます。林雄介です。(*^_^*)

お稲荷さんについては、無理に信仰をとめませんが、さわるなというのが私の立場です。

読者の方とお話して、誤解があるようなので、blogに書きます。基本的に、龍、蛇、稲荷等の劵属は必ず祟ります。

厄介なことに、神社の神様が祟っていなくても、劵属は祟ります。具体的には、神社やお寺を破壊されたり、無礼なことをしても、神仏は絶対に祟りません。しかし、劵属は100%祟ります。

神仏は絶対に神罰や仏罰をくだしません。神罰や仏罰をくだす存在は邪神です。神や仏は、守護しなくなるだけです。

守護霊も、絶対に罰は与えません。問題があれば、守護をやめます。

守護をやめるというのは、例えば、本来なら病気になったり、アクシデントが起こるべき運命にあるのを守護することで回避してくれている場合、悪いことが起こりはします。しかし、悪因縁が全くない場合は、神仏や守護霊が守護を停止しても何も悪いことは起こりません。

神罰、仏罰ですが、御神山に勝手に入るとか、神域から、石や植物を持って帰った場合、わりと簡単に起こります。起こりますというか、神域に劵属が生活しているので、神域のものを持ち帰ると怒り狂った劵属がついてきます。

神様は忙しいので、こうしたトラブルの仲介はしてくれません。というより、最初から神様に仲介を頼めるような人なら劵属とトラブルになることはあり得ないはずです。

劵属を怒らせる人が、神様を呼べるはずがないのです。

劵属は利益を与えます。神は利益を与えません。正確には、劵属経由で、利益を与えるのです。

神は無欲です。神と接するには、無欲になる必要があります。しかし、利益を欲するから劵属に頼み事をすると思うのです。

人間には、肉体があり欲望があります。そのため、完全な無欲にはなれませんし、無欲も神は求めません。神というのは、完全に利他の精神しかありません。しかし、肉体がある人間は利他の存在にはなれません。そのため、利己の割合を減らし、利他の割合を増やすことが望ましいのです。

さて、劵属を完全にコントロールすることは、人間にはできません。ですから、龍や蛇、あるいは三峰の狼にも、直接、頼むべきではありません。神社の神様に頼み、どの劵属が働いたか?は知るべきではありません。劵属に、お供えもすべきではありません。最低限のお供えはしても構いませんが、9割は神様に感謝し、1割を劵属に向けるのです。9割を劵属に向け、1割を神様に向けると、神様が劵属をコントロール出来なくなります。

三峰のお犬様は怖いという人がたくさんいます。三峰のお犬様は、非常にフレンドリーな気さくな劵属です。しかし、あくまで三峰神社の神様が善意で貸してくれているものです。人間が、三峰神社の所有物である劵属をコントロールすることは出来ません。

劵属というのは、神様の所有物です。神様よりも劵属を敬うと劵属がいたたまれなくなるのです。

また、お稲荷さんには、他の御祭神と合祀されていても、絶対にお供えしたり、頼み事をすべきではありません。

正しいお稲荷さんは、神社にはいません。お稲荷さんやうけもちの神、うがのみたまとして祀られているものは、邪神です。邪神でなくても、人間が扱えるものではありません。

正しいお稲荷さんは、天界にいるのです。神社のお稲荷さんも、正しいお稲荷さんは、御祭神の傍から離れません。ですから、人間が頼み事をしても動きませんし、聞いていません。

通常の神社では、人間の願いは、龍等の劵属が聞き、必要に応じて、神様に報告します。そして、決裁書に神様がOKすれば神様から、守護霊に使者が派遣され、守護霊経由で願いを叶えます。守護霊単体で力が足りなければ、蛇等を派遣することもあります。しかし、基本は、守護霊をパワーアップさせ、守護霊に願いが叶うように守護させるのです。

しかし、雨乞いの類いのように、守護霊では力が及ばない願いは、龍が動きます。天候関係や死にかけの病人治しの場合は、たいていは龍が動きます。また、大企業は龍。中小企業や個人経営者は蛇が担当します。

お稲荷さんが動くこともありますが、願いを叶えたらすぐに御祭神のもとに帰還します。

人間のところに、劵属は滞在しません。神のそばにいた方が幸せだからです。神は、天界であれば、物質化が可能なので、お神酒何万トンとか、油揚げ何万トンとか、卵何万トンとか、何でも劵属に供給することが可能です。

逆に、劵属の立場で考えればわかることですが、琵琶湖の水量と同じだけ、いや、海の水量と同じだけの日本酒をいつでも準備できる神様と、せいぜい樽何十個しかお供えできない人間とどちらに使えたいか?ですよ。

ちなみに、龍や蛇が働いているのも、利他の修行により、神になるためです。神になり、より多くの人を救うために、奉仕活動をしているのです。

お稲荷さんは、人間と神の中間に存在し、かつ金毛九尾という厄介な邪神がいます。金毛九尾は、人間の修行のために、絶対神が創造したガチの邪神なので、魔王と同じ扱いです。欲望が1%でもあれば、稲荷経由で金毛九尾がきます。

ちなみに、ガチの邪龍というのはみたことがありません。龍の場合、やろうと思えば地球ごと消滅させられるので、ガチの邪龍を作ると被害が大きすぎるので、おそらくいないのでしょう。邪龍はせいぜい数十キロの大きさです。

話を戻しますが、人間のために神様がいるわけではありません。僧侶や神主であれば、いきなり稲荷社を廃止にしたら大変なことになるので、祀ればよいのですが、一般人は、少なくとも、私に相談する意志がある方は、稲荷参拝をやめてください。

ただし、自宅や会社に稲荷の祠がある場合は、絶対に壊さないでください。100%祟ります。稲荷とのお付き合いは、ないのが一番ですが、信仰していた場合、いきなり信仰をやめるとノイローゼにされる危険があるので、徐々に距離をおいて1年かけて縁を切ります。

縁切りの秘訣は、願い事をしないことだけです。ちなみに、稲荷だけは、社に近づいただけでちょっかいをかけてきます。ですから、毘沙門天不動明王を信仰し、毎日、毘沙門天さんと不動明王さんにお祈りしてください。毘沙門天さんと不動明王さんは、お札をもらわず、お寺にもいかず、真言だけをあげてお参りしてください。私の本の読者なら、それで守ってくれます。本に分魂を飛ばしますから、真言だけでお祈りしてください。私の本の読者の僧侶なら毘沙門天でも、不動明王でも呼べるはずですが、天部の仏様も、利他の精神、無欲、高い教養がないと呼べないので、むしろきちんと呼べる僧侶の方が少ないのです。

また、寺院は寺院でお寺を維持するために葬式や観光、墓の経営に力を入れているので、無欲になるのは難しいのです。坊主の肩書きで講演芸人をやれば、まともな神仏は呼べなくなるのです。坊主の肩書きがなくても食べていける経歴があり、過度な金儲けに走らず、宗教家としては仏には謙虚に接する必要があるのです。(仏に対して、絶対的な謙虚さがあれば、破壊僧でも、仏はくる。)極端な話、宗教収入は受け取らず、全く別の仕事、医者とか弁護士で大金持ちになって、利他の精神で僧侶をやっていれば、豪邸に住んで、風俗通いの僧侶でも、仏きますよ、宗教収入でそれやったら地獄に落ちますけどね。宗教本は、宗教家の資格で宗教本を出せば、宗教収入。僧侶が法律家の資格で、法律本を書けば宗教収入ではない。

林雄介with,you。