林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

老子の解釈について。o(^-^)o

いつもありがとうございます。林雄介です。(*^_^*)

花粉症が酷いです。さて、老子の解釈なんですが、まず、孔子論語老子は根本的な違いがあります。

老子老子道徳経といい、道の巻と徳の巻が存在しています。で、徳の巻、道の巻の順番が逆であることがわかっているので、現在の真ん中以降が、本来のテキストの最初で、現在のテキストの最初は、当初は真ん中以降におかれていたことが明らかになっています。

さらに厄介なことは、岩波文庫講談社学術文庫、中公クラシック等の普及版や漢文体系等の老子の日本語訳と書き下し文は、基本的に中身が異なります。

なぜ、こういう自体が起こっているのか?というと、1点目、正規テキストがない。2点目、漢字に借字がある。

まず、1点目は、論語孟子は、科挙の試験科目なので、一応、これを正規テキストにしましょうという正規版があります。異説はありますが、一応、時代、時代の正規版があります。

ただし、朱子が大学等のテキストの改竄をやったので、大学等は朱子版、本来の大学のように二系統があります。

老子の場合、科挙、厳密には、科挙の科目になったこともあるのですが、学者の間で、儒教ほど熱心に研究されていないので、正規版テキストは存在しません。一応、数種類のテキストが、日本語版の原本として使われています。

で、原本そのものが違うということ。次に、そのまま翻訳すると意味が通じないため、おそらく誤記、または別の漢字をあてはめたと解釈し、翻訳者が、解釈したものを現代訳に使っています。

誤記、別の漢字をあてはめるというのは中国古典では、珍しくなく、また、編纂、または書き写すプロセスで、場所を間違えたりすることもあります。

で、普通は残っている本を比較して、原本に近づけるのですが、論語等と比べると比較する本が少ないのです。

じゃあ、老子はどうやったら解釈できるか?なんですが、儒教老荘、仏教、イスラム教、キリスト教ユダヤ教や他の宗教解釈をやっていくなかで、自然に自ずとわかってくるものです。

最後は、漢文をなんとなく読んでいると、なんとなく意味が自ずとわかってくるものです。これを霊読というのですが、要するに、老子の境地に近づけば、老子の霊読はある程度は誰でも可能です。

ただし、他の主要宗教のエッセンスをほぼ理解している必要があるので、20年くらいかけて、のんびり学べばよいのです。また、境地の説明は達磨大師や釈迦ですら、言語による説明は不可能と言っているので、釈迦ですら、弟子に言語で説明出来なかったものを、私が説明できるはずがありません。

林雄介with,you。