林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

徳川家康は豊臣家を滅ぼす意向はなかった件。(=^▽^=)

いつもありがとうございます。林雄介です。(=^▽^=)

江戸幕府には、旗本として徳川家康が人質だった今川家や織田信長の親族を織田家として雇用しています。

ですから、徳川家康は豊臣家そのものを討伐するつもりはなかったハズです。

徳川家康は、豊臣秀頼に臣下として一大名として家臣になるかどうか?を聞いています。豊臣秀吉織田信長の子供を家臣にしましたから、豊臣秀頼徳川家康の家臣になってもおかしくないんです。
豊臣秀頼が討伐された理由は、家臣になることを拒んだからですよ。数十万石の外様大名として徳川家康に仕えていれば討ち滅ぼす必要はないんです。家臣にならないと言うから、大阪夏の陣、冬の陣で大阪城を攻めて自害させたんですよ。
一大名としての存続まで否定してないですよ。別に豊臣秀頼だから討伐したわけじゃないですよ。同じことを島津でも、前田でも伊達でも、上杉でもやったら潰されますよ。他は外様大名として家臣になったから攻めていないだけで。

関ヶ原以後に征夷大将軍になられた時点で、豊臣方が政権を回復するのは無理ですよ。政権を渡さないつもりなら、関ヶ原で家康を討ち取るしか方法はないわけです。家康が、関ヶ原にゆっくり出陣してきたのも、可能性として毛利が豊臣秀頼を担いで攻めてきたら戦えないからですよ。
毛利や上杉、島津も関ヶ原以後に領土安堵をされているご恩があるから、毛利は豊臣秀吉に攻められて領土安堵を受けたから関ヶ原は豊臣方ですが関ヶ原で負けた後に上杉も毛利も島津も反徳川の大名の領土安堵を家康が行った時点で、豊臣家へのご恩が消滅するんですよ。ですから、大阪夏の陣、冬の陣に外様大名が豊臣の味方はできないんですよ。領土安堵されなかった浪人は豊臣に味方できるんです。ご恩がないから。

林雄介with,you。

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