林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

6月ですね。朱子学と事大主義。

はやいもので、6月になりました。

今月も、皆さんとのんびり、まったりと過ごしていければいいなあと思います。

ブログは、イデオロギー的な記事は基本は書かないようにしているのですけれど、「朱子学」。

朱子学というのは、体系的な儒教なんだけれど、「弊害があって」、1つは中華思想です。

事大主義というのは、「孟子」の一節にあることばで、「智恵があるものは、大国と争わぬこともできます」という意味なんですが、「これ、前後のニュアンスを解釈すると、斉の宣王に対する孟子のレクチャーなんですが、「孟子は相手の知力に応じて、たとえ話を出すんですね。で、宣王は悪い人ではないんだけど、頭は良くない。なので、褒めて育てるみたいな。」

孟子は、馬鹿相手には、「かなりレベルを落とした話をすることも多い」のです。これが、「弟子、相手の対話集である論語」。と、王にもレクチャーしていた孟子の大きな違いです。論語の中の馬鹿は弟子の中での馬鹿なので、基本はできている人なんだけど、孟子の場合は、弟子ではなく王様相手だから、「話をかなり噛み砕いて、説明しています。」

ですから、孟子解釈のポイントは、「誰に話しているか?」ということが重要になります。また、孟子は非常に、実用性が高い。なぜなら、「基本は、国王や大臣相手に話しているので、話のレベルを下げているわけです。」

孟子孔子では、孔子の方がランクが上でしょうが、実用性に絞ると「悪人相手」に話している孟子の方が上。孟子をミクロレベルの救済にしたのがイエス。ですから、イエスは国家運営にはむかないんですよ。個人の救済がメインだから。

宣王は、「強国相手に戦を仕掛けるのが好きな人だから、それは匹夫の勇だから、家臣も困りますから、我慢しろ」というのが事大主義。で、同じ章に、「大国は、小国に礼を尽くす」、これが仁である。といっているんです。

孔子孟子も客商売だから、「トークサービスがある」。トークサービスの部分が「中華思想」なんですよ。本気で、中華思想孔子が持っていたら、地獄に落ちますよ。究極の差別思想だから。

中華思想は、「儒教を残すための、トーク・サービス」。はっきり言うと、中国人は、「我が強い民族だから、褒めてない」と残らないんですよ。
ユダヤ人」とか選民思想があるところは、「我が強い民族」。「一神教は、知的レベルが低い民族をまとめる教え」。ヤーベもアラーも多神教の一体なんです。アラーも最高神の一体。ヤーベも、エジプトの最高神の一体。
日本と同じ、エジプト、ギリシア、バビロニア、みんな征服したり、部族連合の神をまとめて祭っていたんです。ただし、日本は天皇の先祖神を最高神にして、祭祀を残した。ムハンマドも、最初は、一神教を布教していないんです。「アラー」というのは、至上神の一体で、メッカで祭られていた神なんですよ。で、モーゼの時も、多神教にすると「別の神」のお告げ。はっきり言うと、モーゼの真似をするユダヤ人が出てくるから、ヤーベが唯一の神ということにしたんでしょうね。アラーも同じ経緯で、一神教になっているから。

トーク・サービスの部分ですよ。「宗教融和の道を、コーランや聖書に残してあるでしょうね。」それをやっておかないと、「一神教同士の潰しあい」になるから。「一神教同士の潰しあい」を予知できなかった神のいうことなんか信じる必要ないですよ。ですから、「宗教融和の解釈ができる文章」や史跡、言行録、なにかを残してありますよ。

中華思想とか、選民思想的な部分は、「残すため」のトーク・サービス。
中華思想選民思想を残すと、争いの種になるから、「本質的な部分で否定してあるんですけどね・・・」。

あと、「朱子はめちゃくちゃ、頭はいい。ただし、頭がいいのと、慈悲深いのと別次元の問題ですからね。」福澤諭吉朱子の共通項、学問のマニュアル化。学問振興を目指したが、「愛が少ない。」
私のエッセンスを「真心と思いやり」が9割、1割の「悪知恵」にしてある理由は、福澤諭吉朱子が、「知恵」を全面に出して、失敗しているからですよ。中国は、陽明学や仏教が朱子学の弊害を緩和したんです。
朱子学科挙に受かり、老荘思想で心豊かに生きる。これが、典型的な中国の文化人です。朱子学科挙の科目だから、とりあえず、朱子学で官僚になって、心は老荘思想や仏教におく。
日本人も西郷隆盛でも吉田松陰でも、朱子学をやって、基礎知識を身につけてから、「陽明学」に転じているわけです。

私の読書会で、「朱子学」をやらない理由は、「弊害の方が大きいからですよ。」朱子学の近思録は、陽明学の「伝習録」とセットでやらないと、「嫌な人間になるんですよ。」
朱子学のエッセンスなんか、1行しかない。「学問したら聖人になれるので、学問に励むように。」あと、どうでもいい話ですよ。

朱子学は、「体制維持」のための学問だから、江戸幕府朱子学ベースで、「武士道」のでっち上げをしたわけです。やったのは、主君の息子を大阪城で攻め滅ぼした家康ですよ。大義名分論は、主家は絶対。朱子学を導入する国は、主家を滅ぼした国。自分らが、滅ぼされないための洗脳に使うんですよ。「孟子」、ろくでもない君主は殺せと書いてありますよ。易姓革命大義名分論とセットで孟子を教えないと、「易姓革命」を起こされるんですよ・・・。大義名分論孟子は矛盾するから。「誰か気づくから大丈夫」と思ったんでしょうね、朱子も。
朱子学は、体制維持に都合がいい体裁にして、読むのは「易姓革命」がある孟子だから、「結局、ちゃんと儒教を解釈したら、朱子学そのものの矛盾が出てくるんです。」わざとそうしたんでしょうね。残すために。

頭が悪い為政者を、騙して儒教を普及させる手段ですよ。四書五経朱子が考えた学び方。で、四書五経を冷静に学ぶと、「大義名分論」や中華思想やおかしな思想を排除できるわけ。儒教のエッセンスは、「仁愛」だから。

はやし。