林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

蓄運、蓄財の方。老荘、道教について。

林雄介です。「論語」の解説は載せますから、マガジンランドの「政治と宗教のしくみがよくわかる本」を読んでおいてくださいね。16日から解説をします。


さて、昨日かな、一昨日、お風呂で浮かんできたんですが、老荘思想道教は教えなかった。教えなかったというのは、寿命延ばしや天徳、因果の法則は道教のジャンルなんです。仏教よりも道教の方がしっかりしている。しかし、道教は魔界の教えなんです。正確には、密教と同じで正しく修めれば神仙界にいけるんですが、ほとんどの中国人が魔界に行っている。道教にのめりこむと9割の人が魔界にいっちゃうんですよ。だから、教えたくなかったの。

基本的な知識は高校時代から持ってはいたんですよ。ただ、危険性を知っていたから、本にも書いていないでしょう?霊術にいっちゃうんですよ。風水とか、開運術に行くのね。


西に黄色。みたいな。ドクター○○の本も100冊くらい読みましたが、おかしな世界にいっちゃっていますね。安直な開運法は詳しいですよ。ドクター○○の本ですら100冊も読める人だから。しかし、邪法ですね。


次、蓄財法、これは金。金が今、4200円かな、1グラム、インゴットだと2倍ですね。1グラム、1万円。5グラムで5万円ですよ。新品の金のインゴットをおいておくの。ひろさちやさんが、仏教研究家なんですが、8千万円分の金塊を自宅から盗まれましたね。あれ、ひょっとしたら、東洋思想を研究しているから、蓄財法を知っていて実践したんじゃないかなと思ってね。


金塊、金製品ではなく、金塊か新札の札束、教えていいのかな、銀行にいって両替料を払って新品の5円玉を1000枚で5千円ですね。5円玉を5千円分。綺麗な箱にいれてベッドの下においておく。または、

通帳や銀行印を入れる場所に漆箱にいれて紫の風呂敷で包んで、大事に保管しておく。


会社だとね、5円玉を1万枚、そこに100万円分くらいの金塊を載せて、紫の1枚2千円以上の風呂敷で包んで、1万円くらいの漆箱か何かに入れて、金庫に入れておく。こういう本は売れるんですが、書いたらダメらしいです。真心でやらないと魔界に行きますけどね。この手のおまじない本を売ってラッキーカウンセラーになったら30万部売れて、「死後、250年間、封印されるみたいですね。私がやると。」。細○○子の100倍儲かるが、細○○子の1万倍、劣悪な地獄にいくみたいですね。そういうのがなきゃ、本にするんですけどね。私が、年間100億売り上げがある新興宗教を作ったらどうなるか?数千年、地獄に落ちるみたいですね・・・。それがなきゃ、宗教を作りますけどね。


というような術の世界にいくんですよ。墓相、風水、蓄財法、で、老荘思想道教は深い繋がりがあります。しかし、正しく老荘思想を修めた人間は、無欲なんです。不老不死は間違いみたいです。死後の正しい霊界にいくのが本義で、それがわかっていない人間がおかしな世界に迷い込んでいると。儒教を学んだ官僚が1割、老荘を学び、私利私欲を捨てることが正しい。老荘は天界の教えなので、現世利益を求めない。道教とは、天界の教えを大衆に実感させ、また、衆生救済のための方であり、方便である。

法華経の長者の例えと同じ、密教と同じで、現世利益を通して、神がいることを実感させ、無私無欲の人を育成する方法であるから、術のやり方を教えることは邪法らしいですよ・・・。


しかし、「悪が栄える世の中で、ある程度、術も知らねば、生きるのが大変であるから、5%までは許すが、5%をこえれば、大罪である。密教も95%の努力がいる。お遍路や千日回峰行は密教の本義を知らせるためである。努力が95%、奇跡が5%。」


しかし、現代人が荒行をつむ必要はなく、職場で真心をこめて生きることが、現代人の千日回峰行である。お遍路をせずとも、空海の慈悲を思うとき、職場にあらわるるのが南無大師遍照金剛であり、現代人のお遍路である。慈悲も真心もない僧侶が、何万回真言を唱えようと慈悲の化身の仏が現れるはずもない。(こんなこと書いて大丈夫かな?)


「ストップがかかりましたのでやめます。まあ、こうやって自動書記をやると邪神が入ってきて、最初はちゃんと神様が自動書記をやっていても、こなくなるんです。」自動書記を発表して、信者ができて先生と呼ばれだしたら、100%、最初降りていた本物の神が魔物に入れ替わるんですよ。


「自動書記に騙されない方法、自働書記をやらない。神様を呼ばない。自働書記を発表しない。神がかっても無視する。」


悪魔のメッセージ、これは簡単。「愛が大事。愛の国を作れ。愛のある経営。愛を政治に。」悪魔が大好きな単語がありましてね、「愛」。

「次が慈悲、人類救済、助け合い。救え。」神様っぽいやつほど、悪魔。悪魔っぽいやつほど神様。


まあ、おいといて。


道教は、術に走らせず、因果の法則と徳の基本原則だけを学んだら、それ以上は教えたらダメみたいです。摩訶不思議な世界に絶対に興味を持たせちゃいかんわけです。


制約が多い。因果の法則と徳の積み方だけでいいと。道教の神様も教えない方がいいと。もう、天帝か太乙老人以上、教えなくてもいい。天界で、命運を司っている部署がある、それは○○○○宮だけれど、それ以上、教えなくていいらしいです。

何十冊も道教の専門書を読ませた結論が、これね。


密教で「光明真言」と空海の生き様だけ、教えて術を教える必要がないのと同じことみたいですね。


道教は、現世利益を求めて、蓄財法と出世術に力を入れだして、おかしくなる。また、苦界に生まれようという気概心を奪う。仏とは、「解脱しても、衆生救済のため、喜んで生まれ変わる人をいう」そうです。


林雄介。