林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

「政治と宗教のしくみ」の続巻は出るのでしょうか?

前記事を先にお読み下さい。林雄介です。

売れる本を考えれば、道教密教のおかげ本、現世利益本となる。前記事に書いたように、現実的な努力が95%であり、術が先に立つのは邪法でしかない。


因果の法則と徳の積み方を常識的なレベルで教えるのなら良いが、常識的過ぎ、売れまい。


手っ取り早い開運法を教えれば、売れるが、罪でしかない。


また、ほとんどの宗祖は開運法を知ってはいたが教えず、常識的な方法で教化したゆえに生前苦労されたのである。大○は、霊能者の宝庫となったが、それが天の法に触れ弾圧されたのである。


キリストが処刑されたのも、奇跡を起こしすぎたから、天の法に外れたのである。


鎌倉仏教が、比叡山からで、高野山から出なかった理由も、空海が奇跡を重視し、布教に使ったからである。


モーゼが、旧約聖書で、多神教を禁じた理由は、学問がなく奴隷であったユダヤの民が、エジプトの神々に現世利益を祈ったからである。現世利益は努力、努力のあとに自然に神が与えるものなのである。


エジプトは、現世利益の神が多い。しかし、大神官をかねていたエジプト王家がもっとも重視したのは、「勤労、勤勉」を尊ぶ民の育成であった。勤労、勤勉があって、エジプトの神々が動いたのである。


あらゆる宗教が、勤労勤勉を尊ぶのは、勤労勤勉なくして、動くは邪神ゆえである。


勤労勤勉の道からはずれ、国が滅ぶのである。

韓国がおかしくなった理由は、勤労勤勉が足らないからである。受験重視の弊害である。受験とは生涯続くものであり、学問とは来世まで続くものである。


日本もおかしな方向に向かっている。勤労勤勉を尊ぶ風潮を重視せねばならない。旧約聖書とは、勤労、勤勉、勤学を尊ぶ教えであり、それゆえにユダヤ人は金儲けが上手いのである。ヤーベは○○の神でもあるが、勤労、勤勉、勤学なくては動けないのである。


モーゼは3千年かけ、ユダヤ人を育成した。一朝一夕のことではないのである。


儒教のエッセンスが、「大学」であるのは、「学問を修め、人々を幸せにし、自己を磨く」ことが繁栄の唯一の方法だからである。

しかし、儒教だけでは、神となり天界には行けぬゆえ、老荘を残したのである。儒教なくして老荘なく。99%の人間には儒教が重要なのである。これが、日本で老荘が広まらなかった真の理由である。


中韓は、儒教の本質がわからず、実学過多ゆえ、おかしくなっている。温故知新の道が重要である。


しかし、日本の多くの人間が、「自分さえよければという価値観になっている」。日教組の問題は、左翼だからではない実学重視だからである。愛国心など、なくとも真心と思いやりと深い学問があれば、自国民も他国民も幸せにしようと思うのである。

福澤諭吉なくば、日々の糧が得られぬが、実学重視でゆけば、天の道からはずれてゆくだけである。


渋沢栄一論語を、吉田松陰孟子を重視したが、両方大事である。福沢諭吉実学の王とそれば、渋沢栄一実学と古典の王であるが、国を動かす大本は吉田松陰孟子の教えである。


儒教、仏教、老荘実学に秀でた人間は東洋を救うが、世界を救うには、加えて、ユダヤ、キリスト、イスラムの教えを持って、宗教融和し、実学を修め、勤労、勤勉、勤学の人を作ることである。


このような本、ローマ法王とて理解できまい。

ヨ○ネ・パ○ロ2世であればわかろうが・・・。


ブログか、密書に残せば十分である。


スキルアップ」を重視し、実学の中で「古典の重要性」を説けばよい。それ以上やれば、出版社を潰すことになる。また、安直に霊術を教えれば、道を誤る人が多く出よう。「まじない本を出してはならない」

孔子は、易を極め、天意を知ってはいたが、現実的な方法で弟子を育成した。老子は弟子を取らなかった。


摩訶不思議なことに興味を抱かせぬような本しか書いてはいけない。世にスピリッチュアルが広まったのは良いことではあるけれど、それをビジネスにするのは良いことではない。


この世で一番大切なものは、「忍耐」である。

世に出ようとか、教えを広めようとか、ベストセラーを出そうと思ってはならない。皆、開祖が悩み、葛藤し、乗り越えた道である。


常識的な方法で、常識的な努力の方法を書き続けよ。天界の法則も教えすぎてはならない。法則そのものの書き替えがあるからである。


正しく儲ける方法を考えればいいのである。

「この通りにすれば受験に受かる」の100倍簡単な本を出し続ければよい。しかし、勤勉、勤労、勤学の道を広めるのは、モーゼと同じくらいの苦難がある。


簡単な本を書けばよい。境地が高まれば、真似れるものではないからである。真似られればよい。

3つの道を広めよ。


「真心、思いやり、勤労・勤勉・勤学」。正攻法でよい。悪質なものにだけ、奇を使えばよい。


それから、売れる方法を教えよう。担当編集者を新人のみにせよ。新人が理解できれば、読者もわかるが、ベテランにしかわからぬ本は読者には理解しがたいものとなる。


池○彰と勝○和○より、簡単に書くのがこの10年のテーマである。しかし、学術書は今の10倍読まなければならない。簡単に書くとは、「学術書を大量に読み、中学生でもわかる本を書き続ける修養にほかならない。」


簡単にかけない理由は、「バカと思われたくないというプライドが捨てれないからである。」バカと思われたくないというプライドを捨てれない人間を天界では、バカと呼ぶのである。


この世でもっとも馬鹿な人間に自然体になりきったとき、本当に賢くなったといえるのである。

いかにも賢いという人間はバカである。しかし、バカに見せようとしている人間も馬鹿なのである。


もし職業を持つなら、保育士がよい、子ども達と一緒にいるのが一番良い。一番、問題のある仕事は学者である。保育士であり、学者であれ。


保育士であり、学者であれというのが政財界すべての読者へのメッセージでもある。仏教でいう観音の大自在力のことである。


人は、大自在力の修行のために生まれてきたのである。賢いといわれて喜んでいるうちは大自在力など得られまい。


林雄介。