浄土真宗は、阿弥陀如来が必ず、人間を成仏させる究極の他力本願の教えです。
そうすると、他宗教はいざ知らず、「浄土真宗にお墓」があったらおかしいのです。極楽浄土に阿弥陀如来が万人を連れて行くというのが、浄土真宗の教義です。
浄土宗の自力本願と異なり、信心も阿弥陀如来に由来します。であれば、人間の行為が介在する余地はないのです。
ゆえに、墓があったらおかしい。極楽浄土に行っているんだから、お墓なんかいらないでしょう?一時期、浄土真宗で「千の風になって」が流行した時に、築地本願寺の法話で本山の教学の僧侶が「墓にいたり、風になるはずはない。極楽浄土に行かせていただく」と断言してますから、墓は不要ですよ。
次、阿弥陀如来は、「成仏させる人間に条件をつけていない」(浄土三部教では、条件をつけているが、親鸞の解釈では、無条件に極楽浄土に連れて行くことになっています。信心を起させるというのが浄土真宗。信心を自分で持ったら、極楽浄土に連れて行くというのが浄土宗や従来の阿弥陀信仰)。であれば、法名があること自体がおかしい。
じゃあ、なぜ、浄土真宗にお墓と法名があるのか?というと、江戸幕府が、宗教を支配体制に組み入れた時に、日蓮宗の不受派は拒否したから弾圧されたんですね。他は檀家制度を受け入れたんですが、檀家制度の名残なんです。で、最大のターゲットが一向一揆を起した浄土真宗。
浄土真宗を潰す政策ですから、寺院の経営権の安定と引きかえに宗教活動を禁止したんです。差別戒名って、同和の人に獣の名前をつけている。で、浄土真宗も江戸時代に差別戒名をつけています。理由は簡単です。宗教活動と本山の関与が禁止されていましたから、今の自治会長みたいなのが坊主をやっていたから、差別戒名なんか平気でつけますよ。
江戸時代の寺院は、僧侶が住職をやっていないんです。自治会長とかPTA会長の世界だから、地域の名誉職ですからね。本山と地域の寺院は分離していますから、僧侶ではないんですよ・・・。
宗教批判ではなく、そういう歴史的背景があるということです。
はやし。