林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

ノン・カフェイン生活。(*^_^*)あっさり書いたわりと凄い話。

いつもありがとうございます。林雄介です。(*^_^*)

2週間前にエアコンが壊れ、超ロハスな暖房なし生活を送っています。

さて、私はアルコールと煙草は控えていますが、カフェインは、珈琲と紅茶、お茶を飲みませんが、鎮痛剤に入っているのでノン・カフェインではありません。

最近、思うところあり、鎮痛剤や風邪薬、栄養剤のカフェインを調べ、現在、ほぼノン・カフェイン生活になりました。

一般的に薬物の依存性は3日〜1週間(市販品)で、それ以上は精神的依存性と言われています。実際に、完全にカフェイン絶ちをすると眠気、痛み、倦怠感等が出ました。

私は、地球にも、環境にも、優しくない人間を目指しているので、もちろん、菜食は行いません。というより、鯨は〇〇神のお使い、イルカはア〇ロンのお使いですが、カラスは最高神のお使いです。また、牛は菅原道真のお使いです。

一見、鯨や肉食は悪に見えますが、「樹木や植物、湖等にも霊はあります。」

樹木は一般的に数百年すれば、霊が宿り、数百年〜1千年で、龍となります。これが神社が森や山の中に作られている理由です。

自然龍というのは、樹木や湖に長い年月を経て、霊が宿り霊体を持ったものです。正確には木、火、土、金、水の5行のエネルギーが凝結して自然龍になるのです。つまり、自然世界にあるあらゆるものは霊が宿るのです。

ですから、動物にも霊がありますが、植物にも霊があり、殺生は殺生なのです。ですから、感謝して食べ、動物も植物も供養すべきなのです。

また、鯨やイルカは頭が良いといいますが、池や樹木に宿る自然龍の方が人間より賢いです。頭の良さを基準にするなら池も埋めれず、樹木も伐れなくなります。また、勝手に樹木を伐り、自然龍が宿りかけていた場合、100%祟ります。

江戸時代は神仏習合で、村の鎮守でまとめてお祀りしていたのです。龍神は神社がなくなれば故郷に帰ったり、天界に帰ったり、あるいは神様に聞いて、新しい場所に移転します。

しかし、自然龍は龍神ではないので、移転先がありません。ゆえに、祟ります。明治政府が神仏分離で寺を壊しまくり、神社合祀で、一村一社とし行政単一=氏子とし、村に複数ある神社を壊し、鎮守の森を切り開き産業の近代化をやったので、7万以上の神社と大量のお寺が破壊され、境内の池、鎮守の森潰したので、神仏両方の龍、天狗、蛇、弁財天(池埋められた)等から猛烈に祟られているのです。

神や仏は祟りません。また、神格がある龍神、天狗、蛇神も祟りませんが、主宰神の他に数十〜数万以上のご卷属を抱えており、ご卷属は祟るのです。

龍神は、一般的には、天界から来た神の化身でない限りは、自然龍が時間をかけ修行し、神となるのです。ですから、圧倒的に神格を持っていない龍や天狗、蛇の方が多いのです。

ゆえに、樹木を伐る場合は、若木に宿らせ、霊を移転させる必要があるのです。さらに、池や井戸は、新しい移転先を用意して、懇切丁寧に移転させてから埋める必要があります。池や井戸以上に厄介なものは、温泉や湧水です。自然の湧水には水気が化身した龍や蛇がまずいます。

さらに明治神宮清正井のように崇敬者が増えると龍も蛇も成長します。

何百年以上も湧いていた水や温泉がいきなり潰され、あるいは、神主が1回、2回、祈祷しただけで納得することは、あり得ません。一番、確実な方法は、神社やお寺の池に移すことです。移転先があれば、なんとか納得してくれます。

人間でも、代替地を用意せず、家を徴収し道路やダムにすれば恨みます。代替地を用意しても、納得してくれないことの方が多いのです。

相手は、人間より長生きし、人間より知能が高い生き物なので、人間以上に気を使う必要があります。

ところで、なぜ、人間は、肉食、菜食、樹木の伐採が許されているのでしょうか?。

それは、三次元の主宰神は、人間だからです。人間には、仏教の仏性、いわゆる神の分魂を入れてあります。ただし、神魂、霊魂、肉体の三層構造になっているため、必ずしも神魂の発動があるとは限りません。ゆえに、人間は肉体を持って修行し、神魂と霊魂が一体化した人を聖人や天人と呼ぶのです。

4次元以上の世界は、物質が存在しないので、神や仏が人間世界に関与するには、人間を媒体にするか、神が肉体を持って人間に生まれてくるしか手段がありません。

万物すべてには霊魂はありますから、意思はありますが、人間にしか神魂を入れていないのです。

ですから、人間が動物に生まれ変わることは絶対にありません。ただし、霊界は人間の意識が形になりますから、畜生の生きざまをすると霊界では形が畜生になります。死後の世界と生まれ変わりを混同し、人間が動物に生まれ変わると勘違いした人が出てきたのでしょう。

もちろん、神は無益な殺生は嫌がります。また、不必要に動植物を殺せば業になりますし、動植物も魂がありますから、祟ります。しかし、人間が生きていく限りに必要な殺生は、神は赦しています。それ以上でも、それ以下でもありません。

また、時代によって、相対的な善悪は変わります。さらに絶対的な善悪はこの世に存在しません。

その時代、その時代のベターがあり、聖人も生まれ変わる必要がなくても生まれ変わってきます。さらに、聖人はユダヤの預言者や仏教の聖人やイスラム教の聖人や政治家や芸術家、様々な生まれ変わりをするため、聖人の前世、現世、来世の教えを比較すると矛盾が生じます。

ゆえに、絶対的な善悪や教えはなく、相対的な善悪や教えを学びつつ、進歩すべきなのです。

林雄介with,you。