林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

トイレ掃除を素手でやるのは自己満足でしかない。

いつもありがとうございます。林雄介です。(*^_^*)

トイレには、〇〇〇という金運、財運の神とウサマ明王や何体かの金運の神が確かにいるので、トイレは清潔にすべきです。

しかし、経営者でトイレ掃除を素手でやるのは、自己啓発セミナーやカルトと変わりません。はっきり書くと自己満足でしかないので、他人や社員にすすめるべきではありません。

世の中の役にたちたいのなら、社員の給料をあげたり、開発途上国のチャイルド・スポンサーをやった方が徳分になります。

神も仏も、社会性を非常に重視します。非常に重視するので、儒教が社会規範の常識となり、仏教や老荘思想は官学にはなり得なかったのです。

境地だけならば、老子が一番高く、次が釈迦、孔子はかなり落ちます。しかし、神も仏も老荘思想や仏教を社会規範の中心にしなかったのです。

ですから、トイレに神様がいますが、素手で掃除することを喜ぶとは思えません。それよりも、ゴム手袋をして、公園や汚れたトイレの掃除をする方が喜ばれます。

それ以前に、素手で自社の掃除をする社長と仕事で、糞尿まみれのトイレ掃除をする人なら、仕事で糞尿まみれのトイレ掃除をする人の方が徳分になります。また、社長や校長が社員や生徒に素手でトイレ掃除を強制すると、マイナスの業、悪因縁になります。

神仏は、無意味な荒行ですら、かなり嫌がる傾向があるのです。

また、神からの使命があればわざわざ荒行をせずとも、日蓮さんのように島流しにされたり、ネルソン・マンデラのように刑務所に入れられます。

常識的に、世の中のお役にたちたいのなら、学問をすべきです。ありとあらゆる学問をし、また、仕事をしてお金を儲け、社会を改善していくことに使えばよいのです。

ところで、僧侶が贅沢をすると悪因縁になります。また、僧侶資格でやった講演会等の収入も、宗教収入と天界ではみなされます。この仕組みがなければ、僧侶資格で講演会をやって金儲けをしたり、法話の本を私が出しています。

宗教収入で、生活する場合、マザーテレサのような生き方をせざるを得ないのです。

僧侶が業を積みたくなければ、教師や公務員や学者や医者や別の職業の収入で生活し、宗教活動は持ち出しになるようにするのです。そうすれば、業にはなりません。

因縁は、お金で動くので、オウム真理教のように全財産を寄進させると、教祖と教団に、寄進した人の悪因縁がきます。

この天界ルールがなければ、読者の皆さんの家、屋敷、不動産を売らせて、全額、林雄介教団に寄進させています。

A教という教派神道は屋敷を売り払わせ、教団に寄付させます。実際に、難病奇病が治るのです。何の奇跡も起きていなければ、全財産を寄進させる社会性のない宗教が、存続するはずもありません。奇跡は起こるんですが、信者の悪因縁は教団のストックになるのです。

昔、書いたように金のペーパー商法トヨタ商事も、だましとった人達の悪因縁を引き受けたので、だましとられた人は、寿命が延びたり、病気が防げたりしてはいるのです。問題は、トヨタ商事の残党が捕まらずに子孫を残していた場合、孫の代で、モロに悪因縁が現実化します。

いつも書いているように、悪いことをやって本人や子供がひどい目にあうなら、悪さをする人はいなくなります。エデンの園では、タイムラグなく悪因縁の精算が行われましたし、神がそれ悪因縁になるからやらない方がいいよ、ととめていたので、悪人はいなかったのです。

しかし、人間が自立出来なくなったので、悪因縁のタイムラグを作り、知恵の実を食べさせたのです。

蛇とは欲望の象徴です。→楽園失墜の本来の意味は、欲望とうまく付き合いながら、善人でありなさいよということです。

林雄介with,you。