林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

荀子と韓非子について。

荀子についてのご質問がありました。以前、書いたとは思いますが、「孟子」は性善説です。荀子性悪説です。そして、法家は性悪説をベースにした厳罰主義です。

私は、「人間は本質的には善の可能性を持った生き物であるけれど、環境や学問のなさによって悪人になると考えています。ですから、荀子韓非子の考え方はあまり好きにはなれません。しかし、どうしても社会が乱れ、善が通用しなければ、真心を持って厳罰主義を行うことも必要です。
韓非子の本質は、あるいは、旧約聖書のヤーベの本質は、「現実的な悪人は、厳罰主義で管理するしかない。」というものです。ですから、究極の善が韓非子なのです。」
上杉謙信孟子とすれば、織田信長始皇帝韓非子なのです。

人間は、学問がなければ確実に悪になります。さらに、倫理観がない知識が加われば、極悪になります。実学重視の福沢諭吉が地獄に近い世界にいっていますよというのは、そういう理由です。
福沢諭吉自身は、基礎教養として古典の素養がありました。しかし、弟子や諭吉の本を読んだ人が、古典はいらないと勘違いし、実学重視の資本主義を作り上げたのです。論語をベースに、道徳経済を説いた渋沢栄一は天界にいっているのですが、諭吉は誤解を与えすぎたのです。

しかし、多くの日本人が実学と古典を重視し、倫理観を持った経済活動を行えば、本人が犯した罪ではありませんから、すぐに諭吉も天界にいけるのです。

そうした話は、さておき、人間は、本質的には善ですが、環境、あるいは学問がないせいで、大半の人間は悪人です。また、100%の善人も存在しないのです。善6、悪4が一般的な聖人です。割合の問題なのです。悪6、善4で、相当、立派な経済人です。で、魔王でも99%の悪と1%の善があり、神でも99%の善と1%の悪があるのです。全部、悪、全部、善ということはありえない。両方、あるいというのが、正しいのです。

はやし。