林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

本というのは何度でも読むものです。

本というのは、何度でも繰り返し読むべきものです。

読書会の解説もまた書きますが、カーネギー、数年前に読書会を始めたときに「文庫版は絶版になっていました」、最近、人気が出てきて漫画になったり、文庫本も再販されるようになりました。例えば、「道は開ける」でも何度も有名な本ですが、「じゃあ、何回も読むのか?」といったら大半の人は読まないと思うんです。論語でも大学、中庸でも、10回も20回も読まないと思う・・・。

本の中身なんか、忘れますし、もう1つは、人間は成長します。成長しますから、同じ本を読んでも理解度が高まるんです。

また、あまり成長していないようでも、大学→論語孟子→中庸を読み終わってから、論語や大学を読むと、理解度が高まっています。この繰り返しで少しずつ賢くなっていくのです。

ですから、私の本でも何回も読んで欲しいと思うのです。わかりやすそうに、さらっと書いていますが、書いていることは難しいと思う。
法華経日蓮さんはなぜ、法華経を熱心に信じているかというと、あらゆるお経を読んで、法華経が最高と思ったからなんですね。しかし、岩波文庫からも法華経が出ていますが、たとえ話が延々とと続くんです。そもそも、普通の人が読んで感動して、世に広めようと思うようなお経ではないんです。日蓮も10年かけて、あらゆるお経を読んで、もう一度、法華経を読んだ時に、はじめて理解できたのです。同じことを鎌倉仏教の宗祖は別々のお経でやっているんです。

法華経だけ、あるいは浄土三部経だけ、あるいは真言宗だけ学んでも理解なんかできないですよ。真言宗は、儒教や古典も含めて、大量に本を読ませるんです。しかし、空海の要求水準が高すぎて、一度、高野山は潰れるんです。

それから、何百年後かに再建されたんです。比叡山はすべての仏典を集めたんですが、高野山空海が学んだのと同じ水準で、儒教からあらゆる学問を学ばせて、さらに密教をやらせようとしていましたから、弟子がついてこれなくなったんです。じゃあ、なぜ、あらゆる学問を空海が学ばせようとしたか?何ですが、あらゆる学問がないと、密教って開運アドバイザーとか風水師みたいな呪い師になっちゃうんですよ。空海密教の弊害をちゃんとわかっていたわけです。

本というのは、「向上心」でも、論語でも、道は開けるでも年に1回、読み直すべきです。何回も読んだら、覚えますよ。でも、忘れますね。本を何度も読む習慣がないから、図書館で読めばいいとかいう人が出てくるんです。

1回しか読まない本なら、わざわざ読まなくていいですよ。荻生徂徠だったかな、忘れましたが江戸時代の学者。本は高価だから、大学と論語ぐらいしか持っていなかったから、何回も読むうちに丸暗記して、横からも下からも書けるまで暗記したそうです。それが、江戸時代の最高の頭脳の1人です。紫式部も学問のベースは、「史記」の丸暗記なんです。

乱読してる人なんか、頭悪いでしょ?同時に100冊、本読めとか書いてる人・・・。ビジネス書や新聞なら、同時に読めますよ。しかし、ほとんどゴーストが書いている、ような薄っぺらい本を読んで皆さんの人生が激変したのか?。激変したら、私のブログなんか読まないんじゃないですか?

中身の濃い本を何回も読んだらいいんです。どの本を繰り返し読むかを知るために、たくさんの本も読まないといけないのですが・・・。

あと、どの本を読むのかは、読書会以外は、自分で決めるべきです。私が生きている間は、教えますが、「私が、死んだら、どうやって本を探すのでしょうか?」

時代が変われば、価値観や学ぶべきことも変わってきます。
やり方そのものを残しておかないと、キリスト教イスラム教儒教のように開祖が死んだあとに、弊害が残るんです。アリストテレスの間違った学説のせいで、異端審問にガリレオがかけられたんですよ・・・。アリストテレスはギリシア哲学の最高峰の1人です。しかし、実際は本を残していないソクラテスの方がはるかに優秀なのです。一般人にわかるということは、秀才ではあっても大天才ではないのです。

私の文章も、今の時代のベター、最良ですが、時代が変われば、そのまま当てはめることが難しいこともでてきます。

しかし、こうした文章を残すと、「勝手に都合よく解釈する人間が必ず出てきます。」文字通り解釈させれば原理主義になりますし、自由に解釈させれば、浅い間違った解釈になるでしょうね。キリスト教が改変されましたからね・・・。

はやし。