林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

死刑について。o(^-^)o

いつもありがとうございます。林雄介です。(*^_^*)

死刑というのは、人間が人間の寿命を奪う行為です。

戦争であるとか、死刑というのは、人間が人間の寿命を奪う行為です。

中絶は、避妊して防ぐべきですが、母体が危険であるとか、レイプされた場合は中絶すればよいのです。中絶に関しては、本人に責任があるか?ないかで、状況が変わってきます。

死刑というのは、私は反対しています。終身刑にし、もしも犯人が死ぬべきであれば、それは神が寿命を奪って殺すはずです。神が殺していない以上、人間が裁くべきではないのです。ですから、人間の寿命に関わる部分は、人間が関与すべきではありません。

ちなみに、戦争で兵士が殺人をした場合、カルマは兵士が背負うことはなく、首相と国会議員が背負います。さらに、国会議員を選んだ国民の責任になります。(現場で勝手に殺戮した場合は、個人のカルマになりますが…)。

現実世界においては、人間が統治権を神から与えられていますから、犯罪者というのは、人間の法律で裁かなければいけません。ただ、死刑にしても、1点目、冤罪が出た場合に回復不可能であること。2点目、どのような悪人であろうと神が生命を与えている以上、殺すのは神の責任であること。3点目、死刑適用になる犯罪は、残虐かつ複数人を殺しているため、1回、2回の絞殺刑で罪が消えることはありえないこと→死んでから地獄で責められ、生まれ変わってから因果の法則で苦しむ。仮に、死刑で罪がチャラになるなら、死刑にすべきですが、「現実問題として、2、3人を残虐な方法で殺した犯人が、絞殺刑になったくらいで許されることはあり得ません。」多少、業は減りますが、死刑を執行する側のストレスが大きく、意味があることとは思えません。

死刑というのは、武家の台頭と深く関わっています。平安時代に、怨霊の祟りを怖れた貴族が死刑廃止や、死刑該当者を減刑し、犯罪者が増えまくり、治安が悪化し犯罪者を斬ることができる武家統治権が移行したのです。

また、応仁の乱以降続いた戦国時代を終わらせるために、織田信長は大量殺戮を行いましたが、「平和な社会を作るため私利私欲なく大量殺戮を行ったため」、ほとんど罪がないのです→数百年は地獄に落ちて入る(同じことを私利私欲でやっていれば、いまだに地獄から出られなかったですよ→天下統一すると罪が重くなるので、天下統一直前に本能寺の変で暗殺させて罪を軽減させてある)。源頼朝豊臣秀吉徳川家康は、織田信長より殺戮をしていませんが、「私利私欲」で天下を統一したので、織田信長より罪が思いのです。

殺戮の罪が軽減される基準は、1、本人が殺害することを望んでいない。2、公益性の観点から、殺害することが公益性にかない、他に適切な手段がなく私利私欲なく、地獄におちる覚悟で殺したくないけれど、社会のために殺害している。→織田信長上杉謙信楠木正成諸葛孔明等。

3、地獄におちるのは嫌なので信仰心だけは篤い場合→源頼朝とかかなりいる→地獄に神様が助けにきて、傷を癒して一時的に助けてくれる(罪は消せないから、地獄から出れるわけではない)。

4、信仰心すらなく、私利私欲で大量殺戮した場合→めったに成功しないし、無神論者で大量殺戮をやった人は少ない。スターリン毛沢東、レーニン→神様が有能な悪人を生まれ変わらせて、社会主義をやらせた。

比叡山の焼き討ちとかスターリン毛沢東文化大革命→神様が許可してなきゃ無理。神は人間の目からみたら非道。好きで人間を苦しめているわけではないので、痛みの共有はしている。イエスの磔→イエスと合体して一緒になぶり殺しにされている。→磔の痛みはちゃんと共有している。

戦争→人間と合体して殺される苦しみは共有している。→人間が戦争というのは、悲惨だからやめようと思わないと戦争なくせない。戦争も自然災害も犯罪も、神様はなくしたいと考えている。

→人間を通じてしか、人間社会を変えることはできない。

林雄介with,you。