林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

学問と勉強の違いと、学問と勉強のすすめ。〔保存版〕

いつもありがとうございます。林雄介です。(=^▽^=)

学問と勉強の違いは、実学かどうかですね。私は実学は勉強で、学問はそれ以外だと思うんですね。問ひて学ぶのが学問ですけれども。福沢諭吉先生の「学問のすすめ」というのは、実学中心ですから本当は勉強のすすめ。であると。しかし、儒教も学問をすすめています。

学問とか勉強というのは、生活に生かせないと学ぶ意味はない。こういう点では福沢諭吉孔子も同じことを言っているんですね。

私も、聖人に至る道が学問だと考えていますが、聖人って何かというと、私利私欲を抑えて公益も考えて行動できる人ですね。しかし、自己犠牲は悪なんですよ。聖人とか善人が、自己犠牲で社会がよくなっても自己犠牲で社会を改善していったら善人と聖人がいなくなり悪人だけの社会になってしまうでしょう?ですから、自分も他人様も幸せにできるのが聖人であると。

そして、収入とか昇進、就職に有利な勉強をしながら、生活の中で自分が得た知識を社会をよくしていくために役立てる方法を体得していく。これが、学問の道です。

知識がいくらあっても、生活が改善できない、社会が改善できない。そういう知識はいらないわけです。この点も学問のすすめ論語儒教は共通しています。
論語も当時としては実学なんです。生活を改善して聖人に至る道が儒教ですから。時代背景が違いますから、エッセンスだけ体得して文字通り実行したら時代にあわないこともたくさんあります。

古典は知識じゃなくて、エッセンスを生活や仕事にいかしていく、それ以外は不要な学問です。知識がたくさんあっても、実生活に生かせない人がたくさんいますよ。学問は実生活に活用できなかったら無意味な知識のコレクションですから。
で、何で聖人を目指すのか?みんなが聖人になったら、自分も他人も幸せになるからです。自分と他人を幸せにするために聖人になるんです。
聖人になるのは幸せで楽しいことです。聖人じゃない人が聖人の道を説くから聖人は大変だ、ストイックだと思うわけ。お釈迦様も孔子さんも楽しく幸せだったんですよ。聖人は楽しいんです。楽しい幸せだという境地が確立していますから、論語でうだうだ愚痴がでてきますが、本当はポジティブなんですよ。ストイックな面が強調されすぎていますけど。

林雄介with,you。

「図解雑学・よくわかる政治のしくみ」「図解雑学・よくわかる省庁のしくみ」〔ナツメ社〕、「絶対わかる法令・条例実務入門」「絶対スキルアップする公務員の勉強法」「公務員の教科書〔算数・数学編〕」、「ニッポンの農業」〔ぎょうせい〕、「霞ヶ関の掟・官僚の舞台裏」(日本文芸社)、「この通りにすれば受験にうかる」(たちばな出版)