林雄介のブログ!(はてな)

作家の林雄介。元農林水産省のキャリア官僚。政治評論家。

マイナンバー 同和(検索回答)

マイナンバー 同和→まず、同和差別は、なんら根拠がないということです。これを強く申し上げないといけない。

岐阜にも複数の同和地域があるようです。高校時代に、演劇部で私の脚本で、「同和の啓蒙劇」が市民会館で公開されました。

同和について、はじめて知ったのは、小学校3年生の時に、「漫画を読む時間」というのがあって、生徒が1人ずつ漫画を持ってきて、段ボール箱にいれて、適当に配って読むという時間だったんですが、私はあさりちゃんドラえもんがあたったんですよ。で、担任が「林君はこの本を」と同和の啓蒙漫画を渡されましてね。

「普通の漫画を取り上げられた」というショックが大きかった。解放同盟か日教組の漫画だと思うんですけどね。それでまあ、同和差別というものがあるという「偏向教育」を受けたわけです。

子供に思想教育をすべきではないと思うんですよ、中身に関係なく・・・。
同和利権の真相」みたいな本もベストセラーになりましてね。食肉というのは、在日、同和の方が多い職業でもある。ハンナンの浅田さんも解放同盟の役員もやっておられてね、ちょっと逮捕されましたけど、まあ、手紙を出す予定ですけどね。刑務所って、ワープロだめなんですよ。理由忘れたけど、宗男さんへの手紙、手書きで何枚も書いたから。(私はお金のやり取りはないから、ハンナンに本を買い取らせたりしてないし。)

岐阜というのは、何度も書いたように関が原の合戦も、壬申の乱も、岐阜でやっているんです。京都方と関東方が合流する場所だから。

岐阜の同和地区は、場所は書けませんが、1つは関が原エリアに近い。
ですから、関が原から逃亡してきた西軍の武将を匿った集落があったと思う。そこをね、陰湿な家康が同和地区にした。
家康というのは、「中国の漢の劉邦源頼朝を見本にしているんです。」歴史を研究して、誰を手本にしたかというと、劉邦源頼朝を手本にしたんです。劉邦は、無能であったにも関わらず、「優秀な家臣団」のおかげだけで、天下を統一し、優秀な家臣団に造反されないように、天下統一後に、家臣団の粛清をやったんです。唯一、逃亡に成功したのが、軍師の張良です。張良は、仙人になる修行をするとういう「ふざけた理由」で、領地を返したんです。政争に巻き込まれないように。そして、本当に仙人になる修行をはじめるんです。司馬遼太郎なんかは、「逃亡目的」といっていますが、「半分は本気でしょう。私が、ブログや本で呪術の話を書いたりするようなものです」。ちなみに、張良が、私の前世霊(分魂の一体、何人かに生まれ変わっている)なんですが、本気にする人がいるから冗談ですよ。軍師の前世もありますけどね・・・。まあ、中国人の嫌なところを具体化すると「毛沢東」と「劉邦」になると思うんですけどね。

源頼朝も、源義経を殺したろくでなしです。これを手本にした家康ですから、当然、「陰湿な人間ですよ。」知人に直系の子孫がいますから、あまり悪くは書きませんが、「歴史上、最も嫌いな人間の1人です。」明治時代で、一番、嫌いな人間は岩倉具視です。

さて、同和なんですが、設立プロセスがそもそも怪しい。権力者の都合でということではなくてね、農民の下に見下す対象として「同和」が必要だったというのは、マルクス史観ですよ。関が原の見せしめでしょうね。

もしも、家康ではなく諸葛孔明だったら、匿った農民に褒美を与えたと思う。家康の人間の小ささがわかるわけです。佃島とか伊賀忍者は、本能寺の変で助けてくれたお礼に租税免除とかしたわけ。逆もやるね。
孔明は、7回、南蛮王を捕らえ、逃がし、「それで心服させ」、さらに、金銀財宝を自発的に寄付させて、黒字が出たわけです。(コスパを考えてますからね。孔明も。)

で、本題に戻しますが、同和出身者の特定は不可能です。同和事業対策地域出身者が、必ずしも同和出身とは限らないからです。公的な戸籍で、唯一、新平民等の呼称を使っている戸籍は、興信所が法務局に盗みに入った事件以降、閲覧不可能です(法務大臣でも見れないように封印してある。)戸籍をたどれば、同和該当地区に住んでいたか?どうかはわかりますが、「そもそも、家康の陰湿な見せしめ」がルーツの1つであるという仮説を私が立てていますから、この説を信じるべきです。

人間は、平等です。天皇様というのは、「職務が神聖」ではありますが、人間として「神聖」ではないのです。「天皇天照大御神が降臨するしくみ」を作ってあるので、「天皇」という地位が「天照大御神」であり、日本の国体そのものなのです。しかし、天皇の職務を離れれば、人ですからね。ですから、天皇を島流しにしたことはありませんが、「元天皇」の上皇は島流しにしていますよ。皇族も、皇太子殿下も人ですからね。皇位継承した時点で「神」になりますが、「退位」したら人間に戻りますからね。

天皇制は、エジプトやユダヤの祭祀王とは異なり、「行政実務権」を与えていないのです。行政実務権と祭祀王を分離を世界で唯一、成功させたのが日本なのです。

機関としての「天皇」は尊いけれど、個人としては平等ですから。

で、天皇家以外は、部族連合の一員でしかないんですよ。藤原氏も身分は低い一族出身。徳川も素性そのものがなぞの土豪守護大名の名門も足利の一門。源氏ですよ。日本は、「天皇」を中心にした、「日本教」の渡来人を含む、部族連合です。天皇制だから、秦氏が、景教キリスト教の異端、要するにユダヤ教)を持ってきて、神道にいれることに、聖徳太子が反対していないでしょう?。

神道ユダヤ教が似ているという理由で、日本はユダヤであるという説を唱える人がいます。これは、間違いです。景教ユダヤ教のことだから(ユダヤ教の一派としてのキリストを強調したので異端にされた)、秦氏景教の信者だから、聖徳太子の時代にユダヤ教が日本に入ってきている。神道のベースは、聖徳太子が、作ったから、ユダヤ教の影響があるに決まっているんですよ。景教ユダヤ教

天皇天照大御神が降臨しているから、仏教もいれたんです。
マルクス史観は、無理やり神の影響を排除するから、おかしな話になる。宗教はアヘンというのは、アヘンは薬局で売っている鎮痛剤だから、現実的な経済格差とかを宗教に逃げて、「誤魔化すな」という意味ですよ。神そのものを否定も肯定もしていないんですよ・・・。
現実的な政治をよくすべきで、「神頼みに逃げるな」というのがマルクスの主張です。これは、正しいんです。ヒンズー教のインドは、前世の業で貧困があるという価値観があるから、「社会福祉」をやらないんですよ。
インドで、まともに社会福祉が機能しているのは、共産党政権の州だけですからね。イスラム教ヒンズー教の対極にあるのが、マルクスです。

因果律は、バラモン教じゃない。中国の道徳思想で、道教の影響が強いんです。因果律バラモン教にあったら、社会福祉をやりますよ、功徳を積まないと来世過酷だから。因果因縁の法則は、中国の明の時代の道徳の影響です。道徳って、老子の道徳経が語源ですからね。

日本で、道徳教育をやるというけれど、厳密な道徳を教えると「因果因縁」について教えることになるんですけどね。モラルは、社会規範。道徳は、モラルではないですからね。モラルと道徳と社会規範が混同してないか?と思って。

結論としては、「人は平等である」とこれは、天地の法則なんです。前世も、複雑なしくみがあるので、悪いことをしたら、不幸になるという短絡的な見方をできないんですよ。人間に理解不可能なしくみですから。傾向はあっても、例外も多いから。

はやし。